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事件 |
昭和
56年
(ワ)
9093号
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裁判所のデータが存在しません。 | |
裁判所 | 大阪地方裁判所 |
判決言渡日 | 1987/05/27 |
権利種別 | 不正競争 |
訴訟類型 | 民事訴訟 |
主文 |
一 被告は、別紙目録(二)記載の被告各店舗において、別紙目録(一)記載の標章を使用してはならない。 二 被告は、原告らに対し、別紙目録(二)記載の被告各店舗に掲げた別紙目録(一)記載の標章を撤去せよ。 三 被告は、原告株式会社かに道楽に対し金二五〇〇万円、原告株式会社名古屋かに道楽に対し金二五〇〇万円及び右各金員に対する昭和六一年三月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。 四 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。 五 訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする六 この判決は、主文第一ないし第三項に限り仮に執行することができる。 |
事実及び理由 | |
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当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨1 主文第一項同旨2 主文第二項同旨3 被告は、別紙目録(二)記載の被告各店舗において、別紙目録(四)記載の標章のうち「かに」の部分を使用してはならない。 4 被告は、原告らに対し、別紙目録(二)記載の各店舗において使用する別紙目録(四)記載の標章を表示した看板(袖看板、置看板、店頭看板、電照看板、ネオンサイン)を撤去し、並びに右各店舗において使用する右標章を表示したのれん、 パンフレツト、メニユー、包装紙、箸袋、マツチを廃棄せよ。 5 主文第三項同旨6 被告は、原告らに対し、別紙目録(五)記載のとおりの謝罪広告を朝日新聞、 毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、サンケイ新聞及び中日新聞の全国版広告欄に各一回宛掲載せよ。 7 訴訟費用は被告の負担とする。 8 右2、4、5項につき仮執行の宣言二 請求の趣旨に対する答弁1 原告らの請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告らの負担とする。 |
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当事者の主張
一 請求原因1(一) 原告株式会社かに道楽(以下「原告かに道楽」という)は、商号を「株式会社かに道楽」、本店を大阪市<以下略>、目的を飲食店の経営その他付帯事業、資本金を五〇〇〇万円として昭和四六年六月一日設立された株式会社である。 原告かに道楽は、兵庫県豊岡市<以下略>に本店を有する訴外日和山観光株式会社(以下「日和山観光」という)の子会社として設立され、昭和三五年二月頃から日和山観光が「かに道楽」等の屋号で経営していたかに料理専門店の営業を譲受け、以来事業を飛躍的に発展させ新規店舗を増設していつたものであるが、営業組織の拡大に伴い、かに道楽チエーン会社としての新規会社を次々に設立して営業を分離独立させ、さらに新規会社による新規店舗の増設をすることにより以下に述べる「かに道楽チエーン」を組織しているものであり、現在原告かに道楽はそのチエーンの本部的機能を保持している。 (二) 原告株式会社名古屋かに道楽(以下「原告名古屋かに道楽」という)は、 商号を「株式会社道頓堀」(後、昭和四八年六月一五日商号変更により「株式会社名古屋かに道楽」となる)、本店を名古屋市<以下略>、目的を飲食店等の経営その他付帯事業、資本金を五〇〇〇万円として昭和四六年九月二日設立された株式会社であり、原告かに道楽より営業譲渡を受け、また新規開設したものを含め現在左記店舗の経営をしている。 名称 所在地 営業開始(1) かに道楽住吉店 名古屋市<以下略> 昭和四二年六月(2) かに道楽錦店 名古屋市<以下略> 昭和四四年九月(3) かに道楽栄店 名古屋市<以下略> 昭和四六年一〇月 (旧店名 道頓堀)(4) かに道楽八事店 名古屋市<以下略> 昭和五四年三月(5) かに道楽駅前本店 名古屋市<以下略> 昭和五六年四月(6) かに道楽岐阜店 岐阜市<以下略> 昭和五八年三月(7) かに道楽福岡店 福岡市<以下略> 昭和五九年九月(三) 原告株式会社かに栄(以下「原告かに栄」という)は、商号を「株式会社かに栄」、本店を名古屋市<以下略>、目的を飲食店の経営その他付帯事業、資本金を二〇〇〇万円として昭和四九年五月七日設立された株式会社であり、左記店舗の経営をしている。 名称 所在地 営業開始(1) かに道楽女子大小路店 名古屋市<以下略> 昭和五〇年一二月(2) かに道楽岡崎店 岡崎市<以下略> 昭和五五年八月(3) かに道楽豊橋店 豊橋市<以下略> 昭和五二年三月(4) かに道楽静岡店 静岡市<以下略> 昭和五七年三月(四) 原告株式会社網元は、商号を「株式会社網元」、本店を大阪市<以下略>、目的を飲食店の経営等その他付帯事業、資本金を三〇〇〇万円として昭和五四年八月六日設立された株式会社であり、原告かに道楽より営業譲渡を受けて左記店舗の経営をしている。 名称 所在地 営業開始(1) 千石船 大阪市<以下略> 昭和三五年二月(2) かに道楽北店 大阪市<以下略> 昭和四一年一一月(3) 網元 大阪市<以下略> 昭和四三年一二月(4) 北海丸 大阪市<以下略> 昭和四五年一二月(5) かに道楽天満店 大阪市<以下略> 昭和四五年一二月(6) かに道楽十三店 大阪市<以下略> 昭和四七年一二月(7) かに道楽堺店 堺市<以下略> 昭和四八年一一月(8) かに道楽寝屋川店 寝屋川市<以下略> 昭和五二年四月(9) 呑道楽 大阪市<以下略> 昭和五二年一二月(10) 網元本店 大阪市<以下略> 昭和五三年一一月(11) いかさまや 大阪市<以下略> 昭和五四年三月(12) かに道楽和歌山店 和歌山市<以下略> 昭和五七年四月(13) かに道楽松山店 松山市<以下略> 昭和五九年一一月(五) 原告株式会社道頓堀かに道楽は、商号を「株式会社道頓堀かに道楽」、本店を大阪市<以下略>、目的を飲食店の経営等その他付帯事業、資本金を三〇〇〇万円として昭和五一年九月二一日設立された株式会社であり、原告かに道楽より営業譲渡を受け、または新規開設したものを含め現在左記店舗の経営をしている。 名称 所在地 営業開始(1) かに道楽本店 大阪市<以下略> 昭和三七年二月(2) えび道楽 大阪市<以下略> 昭和三九年一二月(3) 漁火 大阪市<以下略> 昭和四六年八月(4) かに道楽布施店 布施市<以下略> 昭和四七年七月(5) かに道楽広島店 広島市<以下略> 昭和四七年一二月(6) 魚河岸 大阪市<以下略> 昭和五〇年一二月(7) かに道楽岡山店 岡山市<以下略> 昭和五三年一〇月(8) ふぐ道楽 岡山市<以下略> 昭和四八年一一月 (旧店名かに道楽岡山店)(9) かに道楽高松店 高松市<以下略> 昭和六〇年一〇月(六) 原告株式会社東京かに道楽は、商号を「株式会社京都かに道楽」、本店を京都市<以下略>、目的を飲食店の経営その他付帯事業、資本金を二〇〇〇万円として昭和五一年二月二四日設立され、昭和六〇年五月三〇日商号を「株式会社東京かに道楽」に変更した株式会社であり、原告かに道楽より営業譲渡を受け、また新規開設したものを含め現在左記店舗の経営をしている。 名称 所在地 営業時間(1) かに道楽京都店 京都市<以下略> 昭和三八年一二月(2) かに道楽六角店 京都市<以下略> 昭和四八年七月 (旧店名かに道楽南席)(3) かに道楽赤坂店 東京都港区<以下略> 昭和四九年一月(4) かに道楽新宿店 東京都新宿区<以下略> 昭和四九年一二月(5) かに道楽浜松店 浜松市<以下略> 昭和五二年一一月(6) 京都呑道楽 京都市<以下略> 昭和五三年九月(7) かに道楽新宿店別館 東京都新宿区<以下略> 昭和五三年一二月(8) かに道楽横浜店 横浜市<以下略> 昭和五四年一〇月(かに道楽関内店は、昭和四九年一一月より横浜市中区関内において営業していたが、右横浜店開店と共に他に賃貸した)(9) かに道楽北白川店 京都市<以下略> 昭和五六年一〇月(10) かに道楽川崎店 川崎市<以下略> 昭和五七年一〇月(11) かに道楽新潟店 新潟市<以下略> 昭和五九年一〇月2 原告ら「かに道楽チエーン」は、もともと日和山観光が、山陰地方の冬の味覚である「松葉がに」を大阪地方の人々に紹介すべく、昭和三五年二月大阪市<以下略>の御堂筋西に「千石船」を開店し、かにの味覚を最大限に生かす「かにすき」料理を考案して世に問うたことに始まる。 その後「かに道楽チエーン」は、独自のかに冷凍法を考案して年中味の変わらないかに料理を広く提供できるようにし、昭和三七年二月には大阪ミナミの代表的繁華街である道頓堀戎橋角に本邦初のかに料理専門店として「かに道楽」道頓堀店を開店するとともに、大衆の耳目を集めるために大きな動く松葉がにを模した看板(以下「かに看板」という)を考案し、「かに道楽」のシンボルとして店頭に掲げた。 「かに道楽」道頓堀店は、この独特の「かに看板」と吟味を重ねたかに料理と顧客第一の営業方針とが相俟つて、「食い倒れの町大阪」のシンボル的存在として全国的に著名なかに料理専門店となつた。その後「かに道楽チエーン」は、売上を飛躍的に増大し、各地に新規店舗を次々に開設し、昭和五七年九月時点で店舗数四一、 年間総売上高一二四億円(昭和五六年四月から同五七年三月まで)を誇るかに料理専門店として一大チエーン網を築き上げた。 3 原告ら「かに道楽チエーン」が昭和三七年二月に「かに道楽」道頓堀店正面に掲げた「かに看板」は別紙目録(一)記載のとおりのものであり、これは、当時日和山観光の社員であつたAが松葉がににヒントを得て考案したものであるが、ゆでがにの肢の第二関節を折り曲げた形態とその色彩を基調としながら、「かに」を顧客に印象付け、かにのイメージアツプを図り、当該店舗がかに料理の専門店であることを知らしめて、顧客を招くという意図のもとに、看板としてかにを誇張、巨大化し、動くはずのないゆでがにのハサミ、肢、目をユーモラスに動かすところに大きな特徴がある。このような「かに看板」を店頭に掲げたのは、我が国で「かに道楽」が最初であり、その考案は奇抜性があり、他に類を見ないもので、独創性、新規性を有するものである。 その後、「かに道楽チエーン」では、左の各店舗の開店と同時に店舗正面に「かに看板」を掲げ、今日に至つている。 (イ) かに道楽京都店 昭和三八年一二月(ロ) 同 住吉店(名古屋) 同 四二年六月(ハ) 同 錦店(名古屋) 同 四四年九月(ニ) 同 栄店(旧店名道頓堀、名古屋) 同 四六年一〇月(ホ) 同 布施店(東大阪市) 同 四七年七月(ヘ) 同 十三店(大阪) 同 四七年一二月(ト) 同 広島店 同 年同月(チ) 同 堺店 同 四八年一一月(リ) かに道楽岡山店 昭和四八年一一月 (同五三年一〇月まで)(ヌ) 同 赤坂店(東京) 同 四九年一月 (同五六年三月から)(ル) 同 関内店(横浜) 同 四九年一一月 (同五四年一〇月まで)(ヲ) 同 新宿店(東京) 同 四九年一二月(ワ) 同 女子大小路店(名古屋) 同 五〇年一二月(カ) 同 豊橋店 同 五二年三月(ヨ) 同 八事店(名古屋) 同 五四年三月(タ) 同 横浜店 同 五四年一〇月(レ) 同 岡崎店 同 五五年八月(ソ) 同 駅前本店(名古屋) 同 五六年四月(ツ) 寿司道楽(名古屋) 同 五六年九月(ネ) 寿司道楽新端店(名古屋) 同五 七年三月(ナ) かに道楽和歌山店 同 五七年四月 また、原告ら「かに道楽チエーン」では昭和三七年二月の「かに道楽」道頓堀店開店の際、別紙目録(三)記載の「かに道楽」の文字標章を考案、採用した。右「かに道楽」の文字標章は、勘亭流を基調としながらも、前記Aが店舗看板にふさわしい書体になるよう考案した独自のものである。爾来、原告らは、この「かに道楽」の文字標章を営業上の表示として、店舗看板、商号、商標、メニユー、パンフレツト、マツチ、箸袋、包装紙等すべてにわたり使用してきた。 原告ら「かに道楽チエーン」は、以上のとおり独自に考案し、独創性を有する大きな動く「かに看板」及び「かに道楽」の文字標章を、自己の営業を示すものとして一貫して使用し、大阪を中心とする近畿地方一円、名古屋を中心とする東海地方一円、東京を中心とする関東地方一円、その他「かに道楽チエーン」の各店舗の所在する京都、静岡、岡山、広島方面などの幅広い地域にわたってテレビ、ラジオ、 新聞、その他により多額の広告宣伝費用を投じて広告宣伝活動を行つてきた。その結果、前記「かに看板」は、原告ら「かに道楽チエーン」を表す営業表示として、 大阪、名古屋はもとより、全国的に著名なものとなつた。そして、今日では、かに料理といえば「かに道楽」、「かに道楽」といえば大きな動く「かに看板」、大きな動く「かに看板」といえば「かに道楽」といわれるまでになつた。また別紙目録(三)の「かに道楽」の文字標章も、原告ら店舗看板に掲げるほか、メニユー、マツチ、箸袋、包装紙等に使用し、さらにテレビコマーシヤル、パンフレツト、チラシ等にも使用して広告宣伝活動に努めた結果、右文字標章もそれ自体が原告らの営業表示として著名なものとなつた。 4(一)被告は、商号を「株式会社かに将軍」(旧商号株式会社越前)、本店を名古屋市<以下略>、目的を和洋飲食業、ホテル及び旅館の経営、サウナブロ及びパチンコ場の経営その他付帯事業、資本金を五〇〇万円として、昭和五一年六月一六日設立された株式会社であり、現在左記店舗を経営するに至つている。 名称 所在地 営業開始(1) かに将軍今池店 名古屋市<以下略> 昭和五二年四月(2) かに将軍駅前店 名古屋市<以下略> 昭和五二年四月(3) かに将軍岐阜店 岐阜市<以下略> 昭和五三年七月(4) かに将軍千葉店 千葉市<以下略> 昭和五五年一二月(5) かに将軍札幌店 札幌市<以下略> 昭和五六年一月(二) 原告らと被告は、同じかに料理業を営んでいる会社として競合関係にあり、また、被告は、原告らの各店舗が存在している地域と同一又は近接する名古屋・岐阜・千葉の各店舗で営業活動を行い、かつ一般大衆をその顧客層としている点においても原告らと競合関係にある。 5 被告は、前記各店舗において、かに料理店を営んでいるが、各店舗正面に別紙目録(一)記載の原告らの「かに看板」と同一又は類似した看板を掲げて使用している。被告が動く「かに看板」を掲げたのは昭和四七年五月開店の今池店が最初であり、右「かに看板」は肢が下に垂れ下がつたものであつたが、昭和四九年二月に開店した名古屋駅前店では肢を上げた格好の看板になり、今池店の看板も間もなく同様のものに取り替えられ、さらに昭和五三年七月に開店した岐阜店には訴外東進スタヂオ製の動く「かに看板」が掲げられ、その後今池店、名古屋駅前店については昭和五四年一〇月頃に、また千葉店については昭和五五年一二月開店時から右東進スタヂオ製の看板が掲げられている。東進スタヂオは、昭和五二年三月まで原告らの多数の店舗の「かに看板」を専属的に製作し、その技術、ノウハウを知つたものであり、原告らとの間では原告ら以外の者のために同種の看板を製作しないことを約していたのに、右約定を破つて背信的に被告の「かに看板」を製作したものである。したがつて、当然のことながら、現在の被告各店舗の動く「かに看板」は原告らのそれと同一又は酷似したものとなつている。 また、被告は、別紙目録(四)記載の文字標章を看板(袖看板、置看板、店頭看板、電照看板及びネオンサイン)、のれん、パンフレツト、メニユー、包装紙、箸袋、マツチ等に使用しているほか、その他の宣伝活動にも被告の営業の表示として使用している。右「かに将軍」の文字標章のうち「かに」の部分は、別紙目録(三)記載の「かに道楽」の文字標章の「かに」と酷似している。 6 被告による前記「かに看板」及び「かにの文字標章」の使用は、一般顧客に被告の営業活動ないし店舗を原告ら「かに道楽チエーン」のそれと誤認混同させるものであり、現に誤認混同を生じた事例が数多くある。被告は、原告らの「かに看板」及び「かにの文字標章」を意図的に模倣し、その他パンフレツト、メニユー、 店舗の外観・内装、寿司折りラベル、かに寿司折箱ふた、箸袋、マツチ、灰皿、かに型洋銀鍋、タクシーステツカー、チラシ等においても原告らのあらゆる営業活動を模倣、追従しており、ことに前記のとおり被告がその「かに看板」の製作を東進スタヂオに依頼した経緯からすれば、被告が原告らの「かに看板」及び「かにの文字標章」の両著名表示を不当に冒用し、原告らが長年にわたつて築きあげた取引上の名声及び信用を自己のために利用しようという悪質な意図を有することは明白である。 したがつて、被告の行為は不正競争防止法1条1項2号に該当する。 7(一) 被告は、被告の前記行為が不正競争行為であることを知り、又は少なくとも過失によりこれを知らないで右行為を行い、これにより原告かに道楽及び同名古屋かに道楽に以下に述べる営業上の損害を与えた。 不正競争防止法1条1項2号該当の行為により損害を受けた者は、特許法102条1項、実用新案法29条1項、商標法38条1項、意匠法39条1項等の規定の類推適用により相手方が不正競争行為により得た利益の額をもつて自己の受けた損害の額と推定されるものと解すべきである。 (二) 被告の昭和五六年七月から同六〇年六月までの売上高等は別表@のとおりであるところ、右売上高等は千葉店、札幌店を含む五店舗の合計の数値であるから、別表@記載の各期売上高及び経常利益額に基づき昭和五三年七月から同六〇年三月までの被告の名古屋・岐阜地区三店舗の売上高及び経常利益額を推定すると別表Aのとおりとなる。 右推定の根拠は以下のとおりである。すなわち、被告五店舗の床面積合計は四〇六八・五一平方メートル(札幌店一一九四・二五平方メートル、千葉店八五三・六七平方メートル、岐阜店六六七・一六平方メートル、今池店七八七・八八平方メートル、駅前店五六五・五五平方メートル)であり、被告今池店、駅前店、岐阜店の床面積合計は二〇二〇・五九平方メートルであるから、右三店舗の床面積比率は被告全五店舗床面積の約五〇パーセントである。そこで、別表@の昭和五六年度ないし同五九年度の売上高及び経常利益額から右床面積比率によつて被告の名古屋・岐阜地区三店舗の右各年度に対応した売上高及び経常利益額を推定すると別表Aの〇印のとおりとなる。次に、右三店舗の昭和五六年度から同五九年度の各期売上高の平均上昇率は一六パーセントになるから、昭和五三年度ないし同五五年度の売上高は同五六年度売上高を基準に一六パーセントずつ順次減額して算出し、同六〇年度の売上高は同五九年度の売上高に一六パーセントを加算した(ただし九か月分)。 そして、昭和五三年度ないし同五七年度及び同六〇年度(ただし九か月分)の経常利益額については、同五七年度ないし同五九年度の各期の売上高に対する経常利益額の平均比率に基づいて算出した。すなわち、別表@によると昭和五八年度の売上高に対する経常利益額の比率は六・三パーセントであり、同五九年度の右比率は同じく六・三パーセントとなる。昭和五七年度の経常利益額は不明であるが、同年度の法人申告所得額は四三四〇万円であり、昭和五九年度の法人申告所得額に対する経常利益額の比率一対二・〇六を昭和五七年度にあてはめると同年度の経常利益額は八九四〇万円となり、その五〇パーセントの四四七〇万円が名古屋・岐阜地区三店舗の経常利益額となり、したがつて同年度の売上高に対する経常利益額の比率は四・三パーセントとなる。そうすると昭和五七年度ないし同五九年度の売上高に対する経常利益額の平均比率は五・六三パーセントになるから、昭和五三年度ないし同五七年度及び同六〇年度(ただし九か月分)の各期経常利益額は、右各期売上高に右五・六三パーセントを乗じて算出した。 以上のとおりであるから、昭和五三年度から同六〇年度(ただし九か月分)の被告今池店、駅前店、岐阜店の売上高は合計七〇億二七三二万円、経常利益額は合計四億一二六二万円を下るものではないと推定される。 しかして、右被告三店舗の経常利益額は、名古屋、岐阜地区におけるものであるから、右利益額は原告名古屋かに道楽の被つた損害額というべきであるが、原告名古屋かに道楽は、昭和五一年二月原告かに道楽との間で原告名古屋かに道楽の毎決算期における税引前利益(経常利益)の二分の一相当額を原告かに道楽にロイヤルテイとして支払う旨の契約を締結したから、原告かに道楽の損害額のうち二分の一に相当する二億六三一万円は原告かに道楽に帰属する。 (三) また、原告らの前記「かに看板」標章及び「かにの文字標章」は、いずれも原告らの営業表示として不正競争防止法1条1項2号による保護を受ける結果、 名古屋・岐阜地区においては原告かに道楽及び同名古屋かに道楽の二社にその独占的使用が認められ、一定の財産的価値を有するに至つている。 したがつて、被告がこれを名古屋・岐阜地区において無断使用したことにより右原告両名が財産上直接的な損害を被つたことは明らかであり、その損害額は、もし右原告両名が右各独占標章等の使用を他人に許諾した場合に得るであろう利益又は対価(商標権の使用許諾料に相当する対価)と考えるのが相当である。右対価は、 一般の商標権の使用料が三ないし五パーセントであることからして、少なくとも被告の前記三店舗の売上高の三パーセントの額を下ることはない。 前記被告三店舗の昭和五三年度から同六〇年度(ただし九か月分)の売上高合計は七〇億二七三二万円であるところ、その三パーセント相当額二億一〇八一万円が右原告両名の被つた損害額であるから、右原告両名はそれぞれその二分の一の一億五四〇万円の損害賠償請求権を有する。 8 被告は、原告らと同じかに料理店を営業しているが、被告のかに料理は原告ら「かに道楽チエーン」店のそれと比べ味、鮮度はもとより量の点でも劣り、原告らの営業活動と誤認混同を生ぜしめることにより、原告らが永年にわたり築き上げてきたかに料理専門店としての信用、名声を低下させるばかりか、不当にも原告らチエーン店を意識した悪宣伝を企画し、原告らチエーン店を誹謗する行為をもなしている。 被告の右行為によつて原告らは著しく信用を失墜したものであり、右信用を回復するには、金銭のみでは不十分であり、謝罪広告の必要がある。 9 よつて、原告らは被告に対し、不正競争防止法1条1項2号に基づき別紙目録(二)記載の被告各店舗における別紙目録(一)記載の標章の使用の差止、右各店舗に掲げた右標章の撤去、別紙目録(四)記載の標章のうち「かに」の部分の使用の差止、右標章を表示した看板の撤去、のれん等の廃棄を、同法1条の2第3項に基づき請求の趣旨記載の謝罪広告の掲載をそれぞれ求めるとともに、原告かに道楽及び同名古屋かに道楽は被告に対し、前記損害のうちそれぞれ金二五〇〇万円及びこれに対する原告らの昭和六一年三月一四日付第六準備書面(請求の趣旨変更)送達の日の翌日である同年三月一五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。 二 請求原因に対する認否1 請求原因1の事実は知らない。 2 同2は争う。 3 同3は争う。 4 同4(一)のうち、かに将軍今池店及び同駅前店の各営業開始年月は否認し、 その余は認める(ただし、札幌の店舗は単なる札幌店ではなく札幌本店)。かに将軍今池店は昭和四七年五月、同駅前店は昭和四九年二月に営業を開始した。ただし、その頃は、被告代表者Bが「かに将軍」の屋号で個人で右各店を営業していたが、昭和五一年六月一六日株式会社越前を設立すると同時に同社が右各店の営業を承継し、昭和五五年七月一七日現在の商号である株式会社かに将軍に商号を変更したものである。 5 同5のうち、被告がその各店舗においてかに料理店を営んでいること、各店舗正面に動くかにを模した看板を掲げて使用していること、被告が動くかにを模した看板を掲げたのは昭和四七年開店の今池店が最初であること、昭和五三年七月の岐阜店開店以降は東進スタヂオ製の動くかにを模した看板を掲げていること、東進スタヂオはかつて原告らの「かに看板」を製作していたこと、被告が別紙目録(四)記載の文字標章を看板、のれん、パンフレツト、メニユー、包装紙、箸袋、マツチ等に使用していることは認めるが、その余は争う。 6 同6は争う。 7 同7は争う。 8 同8のうち、被告が原告らと同じかに料理店を営業していることは認めるが、 その余は争う。 三 被告の主張1 原告らは、原告らの「かに看板」は独創性、新規性があり、原告ら「かに道楽グループ」の営業表示として周知であると主張する。 しかし、原告らの「かに看板」は、松葉がにの「姿ゆで」の形態を模したものにすぎず、松葉がにの「姿ゆで」は本州における最も代表的かつ豪華なかに料理であり、本州におけるかに料理の宣伝物のトツプに使用されるものである。原告らの右看板の動きも、一般顧客の目から見て特殊な印象を与えるようなものではないし、 一般顧客にとつて「かに」の一般的印象は「赤いかに」であるから、ゆでがにの色彩の松葉がにを動かすという発想も平凡なアイデアにすぎない。 したがつて、原告らの「かに看板」はなんら独創性がなく、「かに料理専門店」を表示するものにすぎないのであり、現に「かに道楽」の看板・名称とともに使用されており、そのような機能しか果していない。 2 原告らは、別紙目録(三)記載の「かに道楽」の文字標章は原告らの営業を示す表示として周知であり、右のうち「かに」の部分は被告の別紙目録(四)記載の「かに将軍」の文字標章の「かに」の部分と酷似していると主張する。 しかし、右の「かに道楽」の文字標章も「かに将軍」の文字標章も、看板や広告に広く使用されている勘亭流、新勘亭流と同一もしくは類似のレタリングにすぎず、しかも「かに」の部分は「かに」という商品の普通名称を示すもので、単にかに料理専門店を示す機能しか有しないことは明らかである。右両表示は「道楽」と「将軍」の部分で営業主体を区別しており、混同のおそれはない。 3 被告は、昭和四七年五月名古屋今池店開店以来昭和五六年一月の札幌本店開店まで五店舗を順次開店してきたが、原告ら「かに道楽」グループとは競争的共存の関係にあるとの基本的な認識にたつて、特に味とサービスを重視し、一方原告ら「かに道楽」が大阪の食いだおれ、食い道楽というイメージであるのに対し、被告は「将軍」という名前のとおりの格式張った商号イメージを中心に五店舗の広告宣伝活動を展開してきた。被告は、テレビ・新聞・雑誌・チラシ・パンフレツトなどあらゆる宣伝媒体を使つて被告店舗の広告宣伝活動を行つてきたが、その広告宣伝費は年々増加し、右五店舗が全年度フルに営業するようになつた昭和五六年度は一億一三〇〇万円余という多額の広告宣伝費を使つており、この費用は被告の年間売上高二〇億円の五・五パーセントを超え、一店舗あたりの平均では二二〇〇万円を超えている。被告は、昭和五六年一月札幌本店の営業を開始したが、店名も単に札幌店でなく札幌本店と銘打ち、北海道が本店である、北海道の「かに将軍」という北海道イメージを中核とする北海道キャンペーン広告が被告全店の広告宣伝の基本戦略となつた。それに伴つて被告使用のパンフレツト・メニユー・包装紙・箸袋・マツチ等においても図柄は北海道イメージ、「タラバがに」を基調とするものとなり原告らのものとは全く類似していない。 商号は営業表示のなかでも営業の同一性を示す基礎となるものでとりわけ重要な意味を有するところ、被告は、五店舗すべてに「かに将軍」という巨大な屋上広告看板を掲げ、かつ「かに将軍」と明示した袖看板を設置し、広告宣伝のためのテレビ等放送メデイアにおいては視覚的、聴覚的に「かに将軍」の名前をアツピールし、ビラ、パンフレツト、リーフレツト、マツチ等の広告宣伝物及び包装紙、箸袋などのすべてに「かに将軍」という商号を明示している。被告は、前記のとおり莫大な宣伝広告費をかけて被告の商号「かに将軍」の周知徹底に努めてきたものであり、被告の店舗の存する地域では「かに将軍」の名前を知らない者はない程度に知れわたつている。一方原告ら「かに道楽グループ」においても、自己の営業施設を表示する方法として必ず「かに道楽」又は「かに道楽チエーン(グループ)」という商号を掲示して自己の営業の同一性を表示し、自他の識別の手段としている。このように、原告らと被告は、それぞれ「かに道楽」「かに将軍」の各商号を大きくかつ明白に表示しているので、仮にかにの看板、かにの文字標章に類似性がみられるとしても、一般大衆である顧客からみて両者の識別は極めて容易であつて、その識別が困難であるということはあり得ない。 4 被告は、昭和四七年五月からかに料理専門店を営業してきたものであり、当初から動くかにの看板も存在したが、原告は昭和五六年一二月に本訴を提起するまで一〇年近くの間被告のかにの看板使用の事実を熟知しながらかにの看板やかにの文字標章について異議を述べたことはなかつた。このことは、原告らが主張するような誤認混同が存在しないことを示すものにほかならない。 しかも、原告かに道楽と被告との間では、昭和四八年にかに料理の競業に関して地域協定による競争的共存の合意が成立したものである。すなわち、当時被告代表者Bは、かに将軍駅前店の建設を計画していたところ、原告ら「かに道楽グループ」の中心人物であるCから、原告らの側でも被告駅前店建設予定地の一軒おいた東隣りにかに料理店を出す予定だが、競争したくないので一度面談したいとの申出を受け、両者の間で数回にわたり協議が行われた。その結果、かに道楽側が撤退することになつたが、かに道楽が売買契約を結んで手付金や代金内金を支払つていた土地は解約できないため、被告が好意で買取ることになつた。そして、互いに相手の店舗の近くには進出しないという内容の地域協定が成立した。右協議の際にはかにの看板もかにの文字標章も全く問題にされなかつたのである。 被告は、右地域協定を忠実に守つて岐阜・千葉・北海道と店舗展開しているのに、原告らの方が昭和五六年四月かに道楽駅前本店、昭和五八年三月同岐阜店と被告店舗に近接した大型店舗の展開を試み、前記地域協定を自ら踏みにじつているのである。 したがつて、被告の行為が不正競争防止法1条1項2号に該当する余地は全くない。 四 被告の主張に対する原告らの反論1 被告の主張1は争う。 原告らの「かに看板」は、単に天然のかにを模したものではなく、規模、形状、 動き、色調のいずれからみても特殊なデフオルメを施したものであり、独創性、奇抜性、新規性を有するものである。 2 被告の主張2は争う。 被告は、昭和四七年五月の今池店開店当時は、かにのハサミとツメをデザイン化した文字標章を使つており、それは別紙目録(三)、(四)記載の「かに」の文字標章とは明らかに異なつていたが、その後変遷を遂げて、昭和五六年九月頃から別紙目録(四)記載の「かに」の文字標章を使用して現在に至つている。右変遷の経過をみれば、時を追って被告が原告らの使用してきた別紙目録(三)記載の「かに」の文字標章に意図的に酷似させてきたことは明らかである。 3 同3のうち、被告がその主張のとおり店舗を開店してきたことは認めるが、被告「かに将軍」の商号が周知になつたとの事実は否認し、原告らと被告がそれぞれ「かに道楽」「かに将軍」の各商号を表示しているので「かに看板」や「かにの文字」に類似性があつても一般大衆である顧客からみて両者の識別は容易であるとの主張は争う。 原告らは、「かに道楽」と「かに将軍」の名称そのものが誤認混同を生ぜしめると主張しているのではなく、原告らの創案にかかり、原告らが使用してきた「かに看板」及び「かにの文字」と同一又は類似の看板あるいは表示を被告が使用しているが故に営業主体の誤認混同を生ぜしめると主張しているのである。 4 同4は争う。 原告らは、被告が前記動く「かに看板」を掲げ、「かにの文字」を使用するようになつてから、その使用を中止するよう再三申し入れている。 また、原告かに道楽と被告との間で被告主張の地域協定がなされたとの事実は存しない。すなわち、原告らは、名古屋駅前にも店舗を開設すべく、昭和四八年六月八日訴外深谷義夫との間で同人所有の名古屋市<以下略>の土地約二一一平方メートルを代金二億一八五二万六〇〇〇円で買受ける旨の売買契約を締結したが(買主は日和山観光名義)、その頃、右土地の一区画置いた隣にかに料理専門店の出店を予定していた現被告代表者Bから面談の申し入れがあり、「かに道楽」の出店を中止してほしいとの要請があつた。原告らは、被告側において原告側のさきに支出した右土地の売買手付金二二〇〇万円を弁償するし、営業の模倣もしないとのBの申出を受け入れることにし、同月一六日、原告側は右土地での出店を見合わせる、Bは営業形態の模倣、追従をやめ、フエアな競業を行う、Bは原告側の購入した右土地を同金額で買取る、との合意に達し、覚書が作成されたものである。 |
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証拠(省略)
理 由一 いずれも成立に争いのない甲第五ないし第八号証、第二五ないし第三八号証、 第四九証、第五五号証、第五八号証、第六〇ないし第六九号証、第七一ないし第七四号証、第七七号証、第八〇号証、第一〇一ないし第一〇七号証、第三一五号証、 第三一七号証、第五三八号証ないし第五四二号証、いずれも証人Dの証言により成立を認める甲第一、第二号証、第九、第一〇号証、第一一、第一二号証の各一ないし三、第一三ないし第一五号証、第一六号証一ないし五、第一七号証、第一八、第一九号証の各一、二、第二〇号証の一ないし六三、第二一ないし第二四号証、第八六ないし第八八号証、第九〇ないし第九二号証、第三八八ないし第三九三号証、第三九四号証の一、二、第三九五ないし第四二〇号証、第五二〇号証、いずれも証人Eの証言により成立を認める甲第九三ないし第九七号証、第九八号証の一ないし六、第九九、第一〇〇号証、第三四二、第三四三号証、第三四五号証、第三五〇号証、第三六三号証、証人Dの証言により昭和四〇年八月五日頃撮影のかに道楽テレビコマーシヤルモニター写真であると認める検甲第一号証の一ないし九、昭和五七年六月一七日頃撮影の前同様の写真であると認める検甲第二号証の一ないし三、第三号証の一ないし四、第四号証の一ないし五、第五号証の一ないし三、第六号証の一ないし四、第七号証の一ないし三、第一〇号証の一ないし四、昭和五七年七月頃撮影の松葉がにのゆでる前の写真であると認める検甲第六七号証の一ないし四、同時期頃撮影の松葉がにのゆで上がりの写真であると認める検甲第六八号証の一ないし三、証人Eの証言により昭和五七年六月一七日頃撮影のかに道楽テレビコマーシヤルモニター写真であると認める検甲第八、第九号証の各一ないし三、昭和五六年九月四日頃撮影の名古屋かに道楽住吉店外観の写真であると認める検甲第三二号証、昭和五七年三月頃撮影のかに道楽道頓堀店「かに看板」の写真であると認める検甲第七五号証の一ないし三、同時期頃撮影の同住吉店「かに看板」の写真であると認める検甲第七六号証の一ないし三、同時期頃撮影の同女子大小路店「かに看板」の写真であると認める検甲第七七号証の一ないし三、同時期頃撮影の同道頓堀店「かに看板」のビデオモニター写真であると認める検甲第八二号証の一ないし八、同時期頃撮影の同住吉店「かに看板」のビデオモニター写真であると認める検甲八三号証の一ないし八、同時期頃撮影の同女子大小路店「かに看板」のビデオモニター写真であると認める検甲第八四号証の一ないし八、昭和五八年六月一日頃撮影の原告らテレビコマーシヤルモニター写真であると認める検甲第九七ないし第九九号証の各一ないし三、第一〇二、第一〇三号証の各一ないし三、昭和四二年六月頃原告名古屋かに道楽旧住吉店を撮影した写真であると認める検甲第一〇八号証、 証人D、同Eの各証言、検証の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。 1 日和山観光は、兵庫県豊岡市に本店を有し、同県城崎温泉の北、日和山において旅館「金波楼」や遊園地を営む会社であるが、昭和三三年に顧客誘致のため大阪市内に案内所を設けたのに続いて、「金波楼」の宣伝を兼ねて山陰特産の松葉がにや魚貝の料理店を大阪市内にも設けることを企図し、昭和三五年二月大阪市<以下略>の御堂筋西において「千石船」の名称で営業を開始した。さらに、日和山観光は、昭和三七年二月大阪ミナミの代表的歓楽街である同市<以下略>の戎橋角に「かに道楽」の名称でかに料理専門店を開店した。 2 右道頓堀の「かに道楽」開店に際し、店舗正面に松葉がにを模した大きな動く「かに看板」が掲げられた。右「かに看板」は、別紙目録(一)記載のような形状のものであり、ゆでて赤くなつた松葉がにを模した巨大な立体看板であつて、肢の第二関節を折り曲げた形になつており、電気仕掛けでハサミ、肢、目玉が動くようにしたものである。当時右のような大きな動く「かに看板」を掲げた料理店は全くなく、右看板は極めて奇抜でユニークなものであり、人の目を惹くものであつた。 右「かに道楽」は、看板料理である「かにすき」その他のかに料理が好評を博し、 場所柄や人目を惹く「かに看板」によつて人気を集めた。 3 日和山観光は、その後、昭和三八年一二月京都市<以下略>に「かに道楽京都店」を、昭和四二年六月名古屋市<以下略>に同住吉店を、昭和四四年九月同市<以下略>に同錦店を順次開店し、いずれも店舗正面に前同様の大きな動く「かに看板」が掲げられた。日和山観光は、右のような「かに道楽」の名称の店のほかに「えび道楽」や「網元」という名称の料理店も出店して営業規模を拡大していつたが、昭和四六年六月一日飲食店部門を独立させ、一〇〇パーセント出資の子会社である原告かに道楽を設立した。その後、請求原因1記載のとおり原告ら各会社が順次設立され、店舗も増設されていき、多数の「かに道楽」の名称のかに料理専門店を中心とする料理店からなる「かに道楽チエーン」を組織するに至り、原告かに道楽は全国的な宣伝媒体による広告宣伝を担当するなど「かに道楽チエーン」の本部としての機能を果すようになつた。原告ら「かに道楽チェーン」に属する多数の店舗ではいずれも、請求原因3記載のとおり、各開店時から店舗正面に前同様の動く「かに看板」が掲げられ、動く「かに看板」は「かに道楽チエーン」を象徴するものとなつた。 4 原告ら「かに道楽チエーン」は、前記のとおり多くの店舗を開店していくとともに、それぞれパンフレツト、チラシ等で宣伝したほか、関西地方はもとより、 「かに道楽」の店舗の存在する岐阜を含む名古屋周辺地区、千葉を含む東京周辺地区等において多額の宣伝費(原告かに道楽が昭和四一年四月から昭和五七年三月までに費した宣伝広告費は八億四八六四万円になる。)をかけて新聞・雑誌・テレビ・ラジオ等のマスメデイアを通じて、あるいは駅の看板・プロムナード壁面・電車の吊ポスター等を用いて「かに道楽チエーン」の宣伝広告に努めた。これらの宣伝広告の多くは写真や文章によって動く「かに看板」に触れるものであつたし、ことにテレビのコマーシヤルは、道頓堀の「かに道楽本店」等の動く「かに看板」がコマーシヤルのポイントとして必ず画面に登場し、その動いている状況が取り上げられていた。 5 原告ら「かに道楽チエーン」は、前記のとおり各地に店舗を増やしていき、昭和六〇年頃には「かに道楽」の名称の店舗だけで三〇軒近くを数え、その他の名称の店舗を入れると約四〇軒の店舗を擁し、年商も百数十億円に達する一大チエーンに発展した。 なかでも道頓堀の「かに道楽本店」は大阪の代表的な大衆料理店の一つとして広く知られ、新聞や雑誌等で早くから全国的にしばしば紹介され、同店の「かに看板」は、これらの紹介記事等において大阪らしい強烈で直截な表現として常に取り上げられ、「食い道楽」の町大阪のシンボル的存在として早くから一般大衆に知られるようになつた。 6 このようにして、別紙目録(一)記載の動く「かに看板」は、原告ら「かに道楽チエーン」の営業表示として、関西地方はもとより、遅くとも昭和四七年五月までには岐阜を含む名古屋周辺地区でも、昭和五五年一二月までには千葉を含む東京周辺地区でも周知となつた。 以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。 被告は、原告らの動く「かに看板」はなんら独創性がなく、「かに料理専門店」を表示するにすぎず、原告ら「かに道楽グループ」の営業表示としての識別性を有しない旨主張する。 なるほど、前記認定のとおり、原告らの動く「かに看板」は、その形状自体は天然の松葉がにをゆでた姿をかなりリアルに模したものには違いないが、証人Eの証言によれば、右看板は、顧客にアピールするように、その動きを生きた「かに」の実際の動きとは異なるものにしてあり、肢と甲羅の大きさの比率や甲羅のいぼの大きさを誇張するなど、天然のかにそのままではなく独自の工夫を加えたものであることが認められる。しかも、そのようなデフオルメの有無よりも、むしろ、天然の松葉がにの形状を模した大きな動く看板としたこと自体が、他に例を見ない奇抜性、新規性を有することは明らかであり、このような看板は現在でもかに料理専門店で一般に使われているものではない。したがつて、原告らの「かに看板」が不正競争防止法1条1項2号所定の「他人ノ営業タルコトヲ示ス表示」としての識別性を有することは明らかであり、その奇抜性からすれば、むしろ非常に強い宣伝広告機能、顧客吸引力を有するものというべきである。 二 被告が本店を名古屋市<以下略>、目的を和洋飲食業、ホテル及び旅館の経営等、資本金を五〇〇万円として昭和五一年六月一六日設立された株式会社であること、名古屋市<以下略>に「かに将軍」今池店を、同市<以下略>区名駅に同駅前店を、岐阜市<以下略>に同岐阜店を、千葉市<以下略>に同千葉店を、札幌市<以下略>に同札幌店(被告のいう札幌本店)を有し、岐阜店の開店は昭和五三年七月、千葉店の開店は昭和五五年二月、札幌店の開店は昭和五六年一月であること、 これらの店舗においてかに料理店を営んでいることは、当事者間に争いがない。 証人Fの証言及び被告代表者本人尋問の結果によれば、被告が設立された昭和五一年六月以前から現被告代表者のBは名古屋市内において「かに将軍」の商号でかに料理店を営業してきており、その最初の店舗である「かに将軍」今池店を昭和四七年五月、続いて「かに将軍」駅前店を昭和四九年二月にそれぞれ開店し、法人化した被告(ただし、当初の商号は「株式会社越前」であり、昭和五五年七月現在の商号に変更された。)に営業が引継がれたこと、被告はその後前記のとおり昭和五六年一月札幌市に「かに将軍」札幌本店を開店し、被告の営業するかに料理店の店舗は五店となつて現在に至つていることが認められる。 右事実と前記一認定の事実によれば、原告らと被告は同じかに料理店を営んでおり、被告の店舗のうち名古屋・岐阜・千葉に所在する四店舗については同一又は近接する地域に店舗を有する原告ら「かに道楽チエーン」の営業活動と競合関係にあるものということができる。 三 被告が名古屋・岐阜・千葉に所在する前記四店舗の各店舗正面に動くかにを模した看板を掲げて使用していること、被告が動くかにを模した看板を掲げたのは昭和四七年開店の今池店が最初であること、昭和五三年七月の岐阜店開店以降は東進スタヂオ製の動くかにを模した看板を掲げていること、東進スタヂオはかつて原告らの動く「かに看板」を製作していたことは、当事者間に争いがない。 証人Eの証言により成立を認める甲第五三七号証、証人Gの証言により成立を認める甲第四二二ないし第四三四号証、第四七八号証、乙第一二六、第一二七号証、 弁論の全趣旨により昭和五六年九月かに将軍駅前店外観を撮影した写真であると認める検甲第四〇号証、同年一一月頃同千葉店外観を撮影した写真であると認める検甲第四一号証、昭和五七年七月同岐阜店外観を撮影した写真であると認める検甲第四二号証(検甲第四〇ないし第四二号証の被写体が被告店であることは当事者間に争いがない。)、弁論の全趣旨によりそれぞれ昭和五七年三月頃かに将軍今池店、 同駅前店、同岐阜店、同千葉店各看板を撮影した写真であると認める検甲第七八号証の一、二、第七九ないし第八一号証の各一ないし三(これらの被写体が被告店舗の看板であることは当事者間に争いがない。)、証人Eの証言と弁論の全趣旨により昭和五八年六月一日被告駅前のパンフレツトに現れた被告各店舗の写真を撮影したものと認める検甲第九〇ないし第九四号証の各一、二、昭和四九年二月被告駅前店名晃社製看板を撮影した写真であることに争いのない検乙第一三〇号証の一、昭和五六年九月被告駅前店東進スタヂオ製看板を撮影した写真であることに争いのない同号証の二、昭和四九年二月被告今池店名晃社製看板を撮影した写真であることに争いのない同号証の三、昭和五六年九月被告今池店東進スタヂオ製看板を撮影した写真であることに争いのない同号証の四、証人E、同G、同Fの各証言、被告代表者本人尋問の結果、検証の結果によれば、次の事実が認められる。 被告「かに将軍」(法人化する前にBが個人で営業していたときを含む。)が初めて動くかにを模した看板を掲げたのは昭和四七年五月の今池店開店のときのことであるが、そのときの看板は、松葉がにを模したものではあつたけれども、肢の第一関節から先が下向きに垂れ下つたものであつた。次に昭和四九年二月開店の駅前店に掲げられた動くかにを模した看板は肢が折り曲げられ、外見上原告らの動く「かに看板」に近いものになつた。そして、昭和五三年七月の岐阜店開店の際に前記のとおり東進スタヂオ製の動くかにを模した看板が掲げられ、その後今池店、駅前店、千葉店にも東進スタヂオ製の動くかにを模した看板が掲げられるようになつた。 東進スタヂオは、昭和四四年九月かに道楽錦店に掲げられた「かに看板」の製造を手がけて以来昭和五二年三月の豊橋店まで原告ら「かに道楽チエーン」の多数の「かに看板」の製造を請負つてきたが、値段の折合がつかなくなつたことから右豊橋店を最後に原告らから「かに看板」製造の注文を受けなくなつたところ、被告から依頼を受けて、それまでのノウハウにより被告の各店舗のために同様の動くかにを模した看板を製造した。現在の被告の動くかにを模した看板というのは、別紙(一)記載のごときものであつて、赤く彩色された巨大な松葉がにの肢の第二関節を折り曲げ、電気仕掛けでハサミ、肢、目を動くようにしたものである。 右認定の事実によれば、原告らの動く「かに看板」と被告の前記四店舗の動く「かに看板」とは、細部の差異は別にして全体としては酷似しているものというべく、かに料理店を利用する一般大衆において営業主体の混同を生じさせるおそれは十分にあるものと認められる。 被告は、被告各店舗すべてに「かに将軍」の商号を明示した巨大な屋上広告看板を掲げ、「かに将軍」と明示した袖看板も設置しており、また、その他の広告宣伝においても「かに将軍」の商号を明示し、莫大な宣伝広告費をかけてその周知徹底に努めてきたものであり、しかも昭和五六年一月の札幌本店開店以降は原告らと異なる北海道イメージを中心とする宣伝活動を行つており、被告の店舗の存在する地域では被告「かに将軍」の商号は周知であり、一方原告ら「かに道楽グループ」においても自己の営業施設を表示する方法として必ず「かに道楽」又は「かに道楽チエーン(グループ)」の名称を掲げているのであるから、たとえ「かに看板」に類似性があつても誤認混同のおそれはない旨主張する。 なるほど、前掲各証拠によれば、被告の名古屋・岐阜・千葉に所在する前記四店舗の屋上には「かに将軍」と大書した巨大な看板が掲げられており、また店舗壁面角部には「かに将軍」の文字を記載した大きな袖看板が掲げられていることが認められるから、一般顧客の多くはこれらの看板にも目をとめ、右各店舗が「かに将軍」という商号のかに料理店であることを認識するものと推認することはできよう。しかし、前記認定のとおり、被告が右四店舗を開店する前から右各店舗所在地の周辺地域において動く「かに看板」は原告らの営業表示として周知であり、しかも非常にユニークで人目を惹き強力な顧客吸引力を有していることに照らすと、一般の利用客の中には被告各店舗の屋上の看板や袖看板の「かに将軍」の文字よりも、むしろ店舗正面に掲げられた動く「かに看板」の方に注意を惹きつけられる者も少なからずあるものと思われるし、たとえ右各店舗が「かに将軍」という商号のかに料理店であると認識しても、同じく動く「かに看板」を掲げた原告ら「かに道楽チエーン」と営業上なんらかの密接な関係があるのではないかとの誤信を生ずるおそれは十分にあるものといえるから、混同のおそれを否定することはできない。 また、成立に争いのない乙第九号証、第三七ないし第五三号証、第九四ないし第一〇七号証、証人Fの証言により成立を認める乙第五四ないし第八七号証、第九二号証、テレビコマーシヤルを撮影した写真であることにつき争いのない検乙第一ないし第一三号証の各一ないし三、証人Fの証言、被告代表者本人尋問の結果を総合すれば、被告は、前記のとおり店舗屋上の看板や袖看板に「かに将軍」の商号を明記しているほか、ビラ、パンフレツト、リーフレツト、マツチ等の広告宣伝物や包装紙・箸袋等に「かに将軍」の商号を明記し、多額の広告宣伝費をかけてテレビ、 新聞等でも「かに将軍」の広告宣伝活動を行い、昭和五六年一月の札幌本店開店以降は従前からの四店舗でも「北海道かに将軍」と称して北海道イメージに重点を置いた宣伝を実施していること、被告の年商は約二〇億円に達し、少なくとも名古屋周辺地域においては「かに将軍」の名は周知になつていることが認められる。しかし、右のような事実があつても、被告が札幌本店を除く四店舗の営業を開始する前にそれぞれの地域で原告ら「かに道楽グループ」の活動が先行しており、その営業表示である動く「かに看板」が周知になつていたこと、及び現在でも名古屋周辺地域と東京周辺地域では原告らグループの方が店舗数も多く営業の規模も大きいことにかんがみると、被告の右四店舗の動く「かに看板」の使用により営業主体の誤認混同が生ずるおそれがあるとの前記認定を左右するものではない。かえつて、成立に争いのない甲第四五二号証、第四五四ないし第四五七号証、第四七二号証の一ないし五、証人Eの証言により成立を認める甲第四五三号証、第四六七号証、第四七〇号証及び同証言によれば、名古屋市にある「かに道楽」各店舗と「かに将軍」各店舗との間では利用客の中に現実に誤認混同を生じた事例もないわけではないことが認められる。 したがつて、被告の前記主張は採用できない。 四 次に、被告は、昭和四七年五月からかに料理専門店を営業し、当初からその店舗に動く「かに看板」を掲げていたのに、原告らは本訴提起まで一〇年近くの間被告の「かに看板」について異議を述べなかつたものであり、このことは原告らが主張するような誤認混同が存在しないことを示すものにほかならないと主張する。 本訴の提起がなされたのが昭和五六年一二月一四日であることは記録上明らかであるところ、成立に争いのない乙第八号証によれば、本訴提起に先立ち、昭和五六年八月八日付内容証明郵便によつて原告かに道楽代理人弁護士から被告に対し「かに看板」の使用は不正競争防止法1条1項2号に該当するとして、その中止を申し入れている事実が認められるけれども、それ以前に原告らから被告に対し動く「かに看板」の使用について異議を述べたことを認めるに足りる証拠はない。 右事実によれば、先にみたとおり被告設立前にBが「かに将軍」今池店開店時に動く「かに看板」の使用を始めたのが昭和四七年五月であるから、原告らは相当長期間にわたつて被告の動く「かに看板」に対し異議を述べてこなかつたことにはなる。しかし、右程度の期間差止請求権を行使しなかつたからといつて権利の行使が許されなくなるとは解し難いし、原告らが被告の「かに看板」使用を承認したものと推認するのも相当ではない。 被告の動く「かに看板」自体も前記のとおり変遷を遂げており、ことに被告が現在も使用している東進スタヂオ製の「かに看板」を掲げるようになつたのは昭和五三年七月以降であるし、不正競争防止法に基づく差止請求権を行使するには多くの資料の収集が必要であり、相当の準備期間を要することも見易いところであるから、 原告らが昭和五六年八月まで被告の「かに看板」使用に異議を述べなかつたからといつて、原告らの差止請求権の行使が信義誠実に反するとはいえず、先に認定した誤認混同のおそれを否定する証左となるものでもないというべきである。 さらに、被告は、昭和四八年に原告かに道楽と被告の間で地域協定による競争的共存の合意が成立した旨主張するので検討するに、成立に争いのない乙第一、第二号証、第一二四号証、証人Hの証言により成立を認める乙第一二五号証の一ないし四、証人E、同Hの各証言、被告代表者本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。 現在被告代表者であるBは、昭和四七年五月にかに将軍今池店を開店したのに続いて、名古屋駅前にかに将軍駅前店の出店を計画し土地を確保していたところ、日和山観光でも同駅前に「かに道楽チエーン」のかに料理店の出店を計画し、かに将軍駅前店予定地から一軒置いた隣の食堂の建物及び敷地について、所有者との間で昭和四八年六月八日売買契約を締結し、手付金の支払も済ませた。しかし、隣接地でのかに料理店の競業を避けるために、日和山観光の代表者Cと前記Bとの間で、 その前後頃から折衝が行われ、結局日和山観光の側で右予定地に開店することを断念し、同社が売買契約を締結していた前記土地・建物については売買契約を解約することが困難であつたため、Bが買受けることとし、その見返りとして日和山観光が返還を受ける手付金・中間金の四四〇〇万円をBの取引銀行に一時的に預金することで話し合いがつき、同年七月一六日付で覚書(乙第一号証)が作成され、この件は円満に解決した。そして、Bは、日和山観光から譲り受けた右店舗を改装してかに将軍駅前店を開店した。 右事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。しかし、右覚書(乙第一号証)の記載内容を検討しても、「かに道楽」と「かに将軍」の間での地域協定について定めた条項は存在しないし、もとより「かに看板」の使用に言及した条項も存在しない。被告代表者は、右覚書によつて被告主張のごとき地域協定の合意ができた旨供述するが、右乙第一号証に照らして措信できない。また、右覚書によつて原告らが被告の動く「かに看板」の使用を承諾したとの事実も認められないから、被告の右主張は採用できない。 五 以上の認定事実によれば、被告が名古屋・岐阜・千葉に所在する別紙目録(二)記載の四店舗において別紙目録(一)記載の動く「かに看板」を使用する行為は、原告らの営業上の施設又は活動と誤認を生じさせるおそれがあり、被告の右行為によつて原告らは営業上の利益を害されるおそれがあるということができる。 したがつて、原告らは被告に対し、不正競争防止法1条1項2号に基づき、右四店舗において右動く「かに看板」を使用することの差止及びその徹去を求めることができる。 六 ところで、原告らは、「かに看板」のみならず、別紙目録(三)記載の「かに道楽」の文字標章も原告らの営業表示として周知であり、その「かに」の部分と被告の使用する別紙目録(四)記載の「かに将軍」の文字標章のうちの「かに」の部分とは酷似しており、営業主体の誤認混同を生じさせると主張するので検討する。 成立に争いのない甲第四九六号証、第四九七号証、第五〇二号証の一、三、第五〇四号証の一、三、第五〇五号証の一、二、第五一一、第五一二号証、第五一八号証、証人Eの証言により成立を認める甲第四八八ないし第四九三号証、前掲検甲第1号証の一ないし九、第二号証の一ないし三、第三号証の一ないし四、第四号証の一ないし五、第五号証の一ないし三、第七号証の一ないし三、証人Eの証言によれば、かに道楽道頓堀店開店の昭和三七年二月頃当時日和山観光の従業員であつたA(現在原告名古屋かに道楽代表者)が別紙目録(三)記載のごとき字体からなる「かに道楽」の文字標章を考案したこと、右字体は歌舞伎看板等に使用される勘亭流の字体をヒントにしたものであること、その後右「かに道楽」の文字標章は原告ら「かに道楽チエーン」の看板、メニユー、パンフレツト、マツチ、箸袋、包装紙等に広く使用されてきたことが認められる。一方、被告が別紙目録(四)記載の文字標章を看板、のれん、パンフレツト、メニユー、包装紙、箸袋、マツチ等に使用していることは、当事者間に争いがない。 そこで、別紙目録(三)記載の「かに道楽」の文字標章と別紙目録(四)記載の「かに将軍」の文字標章とを比較すると、いずれも筆太で丸味を帯びた字体からなり、双方の「かに」の文字の部分だけを取り出せば極めて類似しているものといわざるを得ない。しかし、成立に争いのない乙第三、第四号証によれば、勘亭流又はこれをもとにして考案された新かんてい流と呼ばれる字体は、看板や宣伝広告の字体として広く使われていること、原告らの前記「かに道楽」の字体も右勘亭流、新かんてい流の字体とほとんど同じであることが認められ、原告らの「かに道楽」の字体にはそれほど独自性、新規性があるとはいえない。証人Eの証言中には、原告らの前記「かに道楽」の字体は独創的なものであるとの供述部分があるが、右認定と対比して措信できない。また、「かに道楽」の文字標章と「かに将軍」の文字標章の各「かに」の文字の部分が酷似しているといつても、それぞれ「かに」の文字の部分だけが独立して使用されるわけではなく、必ず「かに道楽」又は「かに将軍」という表示として使用されるものである。そして、「かに道楽」と「かに将軍」の各表示を対比すれば、「道楽」及び「将軍」の部分には互いに識別性があり、たとえ字体に類似性があつても、両者が称呼、観念、外観とも顕著に異なることは明らかであるから、「かに道楽」の文字標章と「かに将軍」の文字標章の間にその字体の類似性の故に営業主体の誤認混同のおそれがあるとは認め難い よつて、被告の別紙目録(四)記載の「かに将軍」の文字標章のうちの「かに」の部分の使用が不正競争行為に該当することを前提とする原告らの請求は理由がない。 七 次に、原告かに道楽及び同名古屋かに道楽の損害賠償の請求について検討する。 1 前記認定の事実によれば、被告は動く「かに看板」の使用により不正競争防止法1条1項2号に該当する不正競争行為をなしたものであり、かつ、右不正競争行為をなすにつき少なくとも過失のあることは明らかであるから、右不正競争行為によつて営業上の利益を害された者に対し、その損害を賠償する義務がある。 そして、前記のとおり、被告は名古屋市において「かに将軍」今池店、同駅前店を、岐阜市において同岐阜店を営業して動く「かに看板」を使用しており、一方原告名古屋かに道楽は主に名古屋市において営業活動を行つており、同市内に「かに道楽」住吉店等五店の「かに道楽」店舗を有しており、証人Eの証言によれば、昭和五八年三月には「かに道楽」岐阜店を開店したことが認められる。したがつて、 原告名古屋かに道楽と被告とは場所的にも競合関係にあり、現に誤認混同の事例が生じていることも先に述べたとおりであるから、原告名古屋かに道楽は、被告の前記不正競争行為により、本来同原告の店舗に来るはずの顧客の一部が被告の右三店舗に流れるなどの営業上の損害を被つたことは推認するに難くない。また、原告かに道楽は、前示のとおり、「かに道楽チエーン」の本部としての役割を果しているところ、前掲甲第一号証及び弁論の全趣旨によれば、昭和五一年二月に原告名古屋かに道楽との間で、同原告の毎決算期における税引前利益(経常利益)の二分の一相当額の支払を受けるとの契約を締結したことが認められるから、原告かに道楽もまた、被告の前記名古屋・岐阜地区三店舗での不正競争行為により営業上の利益を害されたものと認められる。 2 そこで、右原告両名の被つた損害額について検討するに、原告らは、不正競争防止法1条1項2号該当の行為により損害を受けた者は、特許法102条1項、実用新案法29条1項、商標法38条1項、意匠法39条1項等の規定の類推適用により相手方が不正競争行為により得た利益の額をもつて自己の受けた損害の額と推定されるものと解すべきであると主張する。 しかし、少なくとも本件においては、右特許法102条1項等の推定規定を類推適用するのは相当でない。けだし、前記認定の事実関係からすれば、被告の行つた不正競争行為は、原告らの営業表示として周知の動く「かに看板」を被告店舗に使用し、原告らの営業上の施設又は活動と混同を生ぜしめたものではあるけれども、 いかに右動く「かに看板」の顧客吸引力が大きいといつても、被告の各店舗には「かに将軍」の商号を明記した屋上看板や袖看板が掲げられているし、被告の側でも「かに将軍」の広告宣伝に努め、名古屋周辺では名前を知られたかに料理店になつているのであるから、被告店舗に来た客の全部又は大部分が動く「かに看板」に吸引され、「かに道楽チエーン」の店であると誤認して来店したものであるなどとは到底見難いところであり、したがつて、被告の不正競争行為がなければ、被告の右三店舗であげた利益と同額の利益を原告名古屋かに道楽もあげ得た筈であるとみるのは経験則上妥当を欠くものといわざるを得ない。また、被告の得た利益のうちどの程度が動く「かに看板」を使用したことによるものであるか、その寄与度を認定することも著しく困難であるというほかない。 よつて、原告らの右主張は採用できない。 しかし、原告らの動く「かに看板」は、原告らの営業表示として一定の地域において周知性を獲得し、不正競争防止法1条1項2号により保護を受ける結果、原告らの独占的使用が認められることになり、一定の財産的価値を有するに至つているものというべきである。前示のとおり、名古屋・岐阜地区においては、原告名古屋かに道楽がほぼ独占的に動く「かに看板」を使用しており(原告かに栄も名古屋市に「かに道楽女子大小路店」を持つているが、前掲甲第一号証によれば、同原告は原告名古屋かに道楽に対し、同店の売上の三パーセントをロイヤリテイとして支払う定めになつていることが認められる。)、原告かに道楽は原告名古屋かに道楽からその利益額の二分の一の支払を受けることになつているのであるから、被告の名古屋・岐阜地区三店舗における動く「かに看板」の使用により、原告かに道楽及び同名古屋かに道楽は、右独占表示の使用を他人に許諾した場合に得られるであろう利益又は対価の額(商標権の使用許諾料に相当する対価)を損害として被つたものと認めるのが相当である。そして、右利益又は対価の額は、前示のとおり右表示がかなり大きい顧客吸引力を有するものであること、しかし他方顧客吸引については右表示とは別の被告独自の経営努力も認められること、その他前記のとおり原告かに栄は原告名古屋かに道楽に対し売上の三パーセントをロイヤリテイとして支払うことになつていること、裁判所に顕著な商標権の使用許諾料としては商品の売上の二ないし三パーセントとする例が多いことなどの諸事情を勘案すると、被告の名古屋・岐阜地区三店舗の売上高の二パーセントをもつて相当と認める。 3 進んで、原告ら主張の期間における右被告三店舗の売上高をみるに、弁論の全趣旨により成立を認める甲第五四七ないし第五五〇号証によれば、右三店舗に千葉店、札幌本店を加えた五店舗の昭和五六年度(同年七月から昭和五七年六月)ないし昭和五九年度の売上高は別表@の右各年度の売上高欄記載のとおりであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、成立に争いのない甲第五五二ないし第五五六号証によれば、被告五店舗の建物の床面積合計は、原告ら主張のとおり四〇六八・五一平方メートルであり、このうち名古屋・岐阜地区三店舗の建物の床面積合計は二〇二〇・五九平方メートルであることが認められるから、 他に特段の反証もない本件においては、被告の五店舗の売上高のうち名古屋・岐阜地区三店舗の売上高の占める割合は、右床面積の比率に応じて概ね五〇パーセントであると推認できる(被告代表者も、右三店舗の売上は全五店舗の売上の半分位であると供述している。)。そうすると、昭和五六年度ないし昭和五九年度の被告の名古屋・岐阜地区三店舗の売上高は、別表Aの当該年度の売上高欄記載のとおりになる。原告ら主張の期間のうち右以外の年度については、直接当該年度の売上高を知りうる資料はないけれども、昭和五六年度から昭和五九年度の売上高の増加率が平均一六パーセントを下らないから、右増加率によつて昭和五三年度ないし昭和五五年度の売上高及び昭和六〇年度(ただし、昭和六〇年七月から昭和六一年三月まで)の売上高を推定すると、別表Aの右各年度の売上高欄記載のとおり(ただし、 昭和六〇年度は一〇七六六二万円)となることが認められるから、他に特段の反証のない本件においては、右各推定売上高をもつて当該年度の売上高と認めるのが相当である。そうすると、原告ら主張の全期間の売上高合計は七〇億二七七二万円となる。 したがつて、原告かに道楽及び同名古屋かに道楽が右期間に被つた損害の額は、 右売上高合計額の二パーセントの二分の一である各金七〇二七万七二〇〇円となる。 よつて、被告に対し、右損害のうち各金二五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後にして原告らの昭和六一年三月一四日付第六準備書面(請求の趣旨の変更)送達の日の翌日であることが記録上明らかな同年三月一五日から完済まで民法所定年五分の割合の遅延損害金の支払を求める右原告両名の請求は理由がある。 八 謝罪広告の請求について 原告らは、被告のかに料理は原告ら「かに道楽チエーン」店のそれと比べて味、 鮮度はもとより量の点でも劣り、原告らの営業活動と誤認混同を生ぜしめることにより原告らの信用・名声を低下させたほか、原告らチエーン店を誹謗する行為をなしている旨主張するところ、証人Eの証言中には右主張に副う供述部分もあるが、 たやすく措信し難く、他に右主張を裏付ける証拠はなく、被告の行為によつて原告らが営業上の信用を失墜したものとは認められない。 よつて、営業上の信用回復の措置を求める原告らの請求は理由がない。 九 以上の次第で、原告らの請求は、上来説示の限度で理由があるから右限度でこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法89条、92条、93条を、仮執行の宣言につき同法196条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。 |
裁判官 | 露木靖郎 |
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裁判官 | 小松一雄 |
裁判官 | 高原正良 |