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事件 昭和 48年 (ワ) 1491号
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 大阪地方裁判所
判決言渡日 1980/03/18
権利種別 不正競争
訴訟類型 民事訴訟
主文 1 被告は自己の拳法普及事業またはこれを行う施設を表示する名称中に「道院」という用語を使用してはならない。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、原告の支出した分は原告の、被告の支出した分は被告の、各負担とする。
事実及び理由
双方の求めた裁判
(原告)1 被告は「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」なる文字を含む表示を用いてはならない。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
(被告)1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
原告の請求原因
(不正競争防止法1条1項2号に基く事業表示の使用差止請求について)1 原告の事業 原告は昭和三八年一〇月二一日設立された社団法人で肩書地に主たる事務所を置き、自己確立と自他共楽の理想実現を目指す宗門金剛禅總本山少林寺の主行である少林寺拳法の研究普及とこれを通じて身心ともに健全な青少年を育成指導することを目的としている団体である。
少林寺拳法とは、訴外【P1】が昭和二二年一〇月二五日香川県仲多度郡<以下略>に少林寺を開設し宗門の行として伝受を始めた武技で、同人は爾来これを普及発展させるため少林寺拳法会を組織し活動していたのであるが、原告は設立と同時に右の事業活動一切を承継したものにほかならない。
そして、原告は現在では【P2】(IOC理事・日本オリンピツク委員会委員長)を総裁理事に、【P3】(ボーイスカウト日本連盟国際コミツシヨナー)を副総裁理事に、【P1】(少林寺管長)を会長理事にあおぎ、その支部は全国八三二カ所におよび、そのうち大学高校の拳法部または同好会は二二九校、海外支部も一〇カ国五四支部におよび、支部会員一六万三、四五六名を擁し、道院の拳士三二万五五六二名を含む少林寺拳法の修行者数は約四八万人にも達している。また、原告はもとより営利団体ではないが、会員の入会費一、五〇〇円、月会費二、〇〇〇円、大会のパンフレツト、絵葉書の売上金等々をもつて事務経費等に充てて収支つぐなつており、本部は年間約二、〇〇〇万円、支部は年間合計約七億二、〇〇〇万円の会計規模である。
このように、原告は事業体として完全に組織化された団体であつて、税法上も営業を行うものとみなされ納税をしている。したがつて、原告は利益を目的として商取引を行うものではないが、広く取引秩序に関連する事業を行つていること明らかである。そして、このような事業も不正競争防止法1条所定の「営業」として、同法条による保護を受けうるものである。すなわち、ここに「営業」とは単に営利を目的とする場合のみならず、広く経済上その収支計算の上に立つて行われる事業をも含むのである(東京地裁昭和三七年一一月二八日判決下民集一三巻一一号二三九五頁、いわゆる京橋病院事件判決参照。)。西ドイツなどでは慈善事業まで不正競業法の適用対象と解している。かりにその適用がはばかられるとしても、少くともその類推適用を受けうるものである。
2 原告の事業表示とその周知性 原告はその名称「社団法人日本少林寺拳法連盟」をみても明らかなとおり前記事業を表わす名称として「少林寺拳法」なる名称を使用し、事業または施設を指す名称として「少林寺拳法道院」なる名称をも使用している。そして、これらの名称は【P1】の行つていた前記少林寺拳法会からそのまま承継したものであり、これらはおそくとも昭和二五年頃には日本国内において広く認識され周知となつている。
すなわち、
一 中国には古くから天竺僧菩提達磨が印度から禅門の行として伝来したと伝えられる拳または拳法という武技があつた。これは羅漢の拳ともいわれ、わが国でもごく一部の者の間で中国の嵩山少林寺で拳技が行われていたということで知られていた。これが「少林寺の拳」とか「少林拳」とかいわれていたもので(ただし、「少林寺拳法」といわれたことはない。)、これはやがて山門を流出し、各流派に分れ、義和門拳、白蓮門拳、太極拳等と称されるようになつた(したがって、「少林拳」とはこれら分派された拳法の上位概念、総称であると解するのが正しい。)。
しかし、これらの拳技はやがて清朝に弾圧され、西暦一七三〇年代以降は保健体操の形で細々と伝承されるだけになつていた。
そして、日本では戦前中国の拳技を軽視してきたため、わずかに歴史的な伝承またはフイクシヨンとして少林寺の拳または少林拳なるものがあるといつたていどのことがごく一部で伝えられていただけで、それはおよそ実体を伴わぬ武技を指称する用語にすぎなかつた。このことは日本で空手または唐手が柔道と並んで具体的な内容を持つた武術として広く知られていたことと好対照をなすものであつた。
二 ところで、【P1】は昭和のはじめ頃から中国東北地方(旧満州)に渡つていたもので、そのさい前記白蓮拳や義和門拳の生き残りの達人から拳技を教えられ修行をつんでいた。そして、終戦後帰国し、日本人の人心の荒廃を憂い昭和二二年原告肩書地に居を定め、そこでかつて中国で修得した各種拳技を総合整理し、自ら剛法柔法整法の三法六百数十の基本技をあみ出し、これを「少林寺拳法」と名付け、
かつ右名称をもつて自己の行う前記普及事業をも現わすものとした。なお、【P1】はその後昭和二六年一二月二五日宗教法人總本山少林寺を設立し、その管長に就任した。
以上の次第で、「少林寺拳法」という名称は、昭和二二年頃日本においてはじめてほかでもない【P1】の創設した拳技およびその普及事業を指すものとしてその具体的な実体を有する固有の表示名辞となつたものである。
かりに、かつて日本でも「少林寺拳法」なる語があつて他の何らかの意味を有していたとしても、少くとも、それはその後右のような事情からして、ほかでもない【P1】の拳法またはその普及事業を指す表示として特別顕著性、自他識別力を有するようになつたものである(いわゆるセカンダリミーニング)。
三 また、「道院」という語も従来わが国では用いられたことのない語で、ただ中国においては古来道教の修行場という意味で用いられていた言葉である。ところが、【P1】は中国ではじめて拳を教わつた場所がたまたま道院であつたのにちなんで、自己の草創した「少林寺拳法」の練成を行う場所をとくに「道院」と名付けた。
このようにしてわが国では「道院」という名称もまた【P1】がはじめて「少林寺拳法」という武技と結びつけこれと同時に案出した独得の表示である。
かりにそうでないとしても、セカンダリミーニングされたことは「少林寺拳法」の場合と同様である。
四 そして、右「少林寺拳法」「少林寺拳法道院」なる表示はおそくとも昭和二五年頃にはわが国で【P1】の行う拳法およびその普及事業(またはその施設)を指すものとして広く世間に知れわたり周知となつた。すなわち、【P1】の少林寺拳法とその普及事業は当初から心ある者の共鳴を呼び、教えを乞う門下生は急速に増加し、支部道院も全国に設立されるようになつた。そして、やがて作家【P4】の知るところとなり、昭和二五年一月から二カ年間にわたり右少林寺拳法をモデルとした小説「風流あじろ笠」を新聞に連載し、ここに【P1】の事業名称である「少林寺拳法」「少林寺拳法道院」は周知となるにいたつたのである。また、昭和二五年五月にはINSテレニユースでも右少林寺拳法が報道され、昭和二九年には前記小説が東宝で映画化されたほか、その後もNHK等のテレビで十数回にわたり報道喧伝された。
3 被告の事業表示とその類似性一 被告はいつのころからか肩書住居地に道場を開設し、門下生をとり拳技を指南教授しているものであるが、昭和三九年頃から自らを日本古伝正法少林寺拳法法嗣三二世師家等と称し、その名も【P5】と号し、また自らの拳技を「少林寺拳法」「不動禅少林寺拳法」等と称し、かつその指南を「少林寺拳法道院」「不動禅少林寺拳法道院」「日本古伝總本山不動禅少林寺拳法道院」等の名の下で行い、そのような看板や大会用パンフレツトをつくり表示している。
しかし、被告の拳技の内容とその普及事業は原告の「少林寺拳法」のそれと全く異なるものであつて、原告と何の関係もないものである。
二 しかして、被告の用いている表示が原告の前記周知表示と同一かまたは類似していることはいうまでもない。被告は前記のとおり「不動禅少林寺拳法道院」とか「日本古伝總本山不動禅少林寺拳法道院」という名を使用していることもあるが、
これも、そのうち冒頭の三文字または一〇文字はいずれも小書して表示することが多く、またその意味内容も普通名詞か、仏教の宗派宗門を指すにすぎず、いずれにしても修辞にほかならず、その要部は「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」という部分にあること明らかであるから、全体として原告の周知表示に類似しているのである。
4 両表示の混同 空手、柔道等別の武技の場合は格別、被告のように原告と同じ拳技の普及事業について同一または類似の表示を用いると世人一般ことに拳法に関心ある学生等の青少年の間で両者を混同することは当然である。現に生じた混同例も枚挙にいとまがない。
二、三の例を挙げると、たとえば、(イ)被告の不動禅少林寺拳法西分院相談役【P6】は昭和四七年一一月の被告拳法の第一四回大会開催直前に朝日放送に祝金を求め訪ねたのであるが、そのさい同社の担当者は同社にあつた原告の少林寺拳法部に諾否について問い合わせ、はじめて両者の混同に気付いた。(ロ)大阪市<以下略>選出の大阪府会議員【P7】は被告の西分院開設祝に招待され、ついで原告の港道院に来たさい、原被告を混同していたため、道院長【P8】に西分院開設の喜びを語る誤りをおかした。(ハ)【P1】は昭和三八年光文社のベストセラーであるカツパブツクス「秘伝少林寺拳法」(現在五二版)を、昭和四八年には「少林寺拳法ーその思想と技法」(日貿出版社刊)(現在六版)を著わす等して原告の少林寺拳法を広く紹介し、その信用と実績をつんできた。そこで、これらの著書を読んだ人、特に中学生等で原告の少林寺拳法を修めたいと考える者が多いのであるが、そのうちの少からざる者が誤つて被告の事業組織に入り、後に相違に気付いて原告方に入り直している。
5 原告の事業上の利益を害せられる虞れ 原告が被告の前記類似表示使用によつて信用を害され、かつ事業上の利益を害せられる虞れの存することは前記誤認混同の要件を基礎づける事実自体によつて十分これを認めることができる。ここでは具体的な損害を必要としないことはいうまでもない。
6 結論 よつて、原告は被告に対し不正競争防止法1条1項2号に基き「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」なる語を含む表示の使用差止を求める。
(氏名権侵害を理由とする事業表示の使用差止請求について) かりに本件に不正競争防止法の適用または類推適用をすることが認められないとしても、原告は請求の趣旨記載の名称について氏名権を有するものである。そして、氏名権は排他性を有する絶対権であるから、被告が前記のような名称を使用することは原告の氏名権を侵害したものとして差止められなければならない。
よつて、原告は被告に対し請求の趣旨と同旨の請求をする。
被告の答弁
原告の主位的請求原因(不正競争防止法に基くもの)1のうち、原告がその主張のような名称を称し肩書地に主たる事務所を有する社団法人であることは認める。
しかし、原告の事業が不正競争防止法1条1項所定の「営業」であつて同法条項の保護を受けるものであると主張する点は争う。その余の事実は不知。
同2のうち、その一で中国における拳技の伝来および中国では河南省在の嵩山少林寺で行われていた拳技を「少林拳」と称し、「少林寺拳法」とは称していなかつたと主張する点は認めるが、その余は否認し、または争う。
同3のうち、被告が現在自らを原告主張のように称し、号し、肩書地の道場で拳技を指南教授していること、被告が昭和三九年以降自らの拳技を「不動禅少林寺拳法」と称し、かつこれを指南教授し普及するにさいし「不動禅少林寺拳法道院」「日本古伝總本山不動禅少林寺拳法道院」という名称表示を使用していることは認める。その余は否認し、または争う。
同4および5は否認し、または争う。
原告の予備的請求原因(氏名権を理由とするもの)も否認し、または争う。
被告の反論と抗弁
(反論)1 原告の事業について 原告が主張する少林寺拳法の普及事業は原告が行つているのではなく、昭和二六年一二月二五日に設立された宗教法人總本山少林寺が附帯事業として行つているものである。
かりにそうでないとしても、原告の事業は不正競争防止法所定の「営業」ではない。
原告が利益追求を目的とする営利団体でないことは原告も自認しているところである。
2 原告の事業表示について 「少林寺拳法」という名称はなにも【P1】が創出した固有の名称ではない。原告の行つている拳法は「金剛禅少林寺拳法」というときはじめて自他識別力ある表示となるものである。のみならず、原告の拳法は通常「四国の拳法」とか「金剛禅」とか称して被告の不動禅少林寺拳法と区別されているのが実情であつて、「少林寺拳法」という普通名称を原告のみが独占使用するいわれは全くない。「少林寺拳法」が普通名称であることは後記(抗弁)の1でも述べる。
そもそも、【P1】(旧姓〇〇〇〇)は、昭和二二年当時は自己の拳法を「北派拳法」とか「日本北派少林拳法」とか称していたのを、昭和二六年になつてそれまで自己が主宰していた宗教団体「黄卍教団」を「宗教法人總本山少林寺」に改組したさいに「金剛禅少林寺拳法」と改称したのである。しかも、【P1】の拳法は、
後に述べるとおり、実は何ら禅宗ことに金剛禅とは関係のない内家拳(これも後述)のそのまた亜流なのである。
「道院」なる名称にしても、一部原告自身も認めるとおりもともと道学、儒学を修める者の修業場所をいい、これを別名「道館」ともいう。したがつて、その名称に特段事業表示または営業表示としての自他識別能力があるわけではない。なお、
仏教の場合は修業の場を「道場」というのであるから(比叡山の根本道場、永平寺の修練道場を参照)、もし原告が自己の拳法を金剛禅の修業としての易筋行であると称するのであれば、その施設はむしろ「道場」と称するのが筋道であろう。これに対し、被告は仏門に入らぬいわゆる野僧としての立場から不動禅の易筋行を行うものであるから自己の拳法普及事業またはその施設を「道院」というのが適当なわけである。
3 被告の事業表示とその類似性について一 被告が自己の拳法普及事業を「(日本古伝總本山)不動禅少林寺拳法(道院)」と称している所以は次のとおりである。
そもそも拳法なる武技は釈迦より二八代目の達磨大師が中国河南省の嵩山少林寺において布授したもので、これがいわゆる「少林拳」である(なお、【P1】は昭和二四年発行の著書「少林寺拳法入門案内」において四川省の嵩山少林寺を訪ね印可を受けたように記しているが、この誤りは自らの欺瞞を示す証左といえる。)。
日本には大智禅師が西暦一三二四年その技を持ち帰り、これを「不動禅少林寺拳法」と称して布授した。そして、その技は右大智禅師を始祖として、第一代禅古師から始まり嫡々継承されその第三一代(野僧としては第一五代)を【P9】師という。被告は長崎県に生れ大正一一年(被告六才の時)法城山光宗寺(現在北高来郡<以下略>在)で不動禅の教えを受けるとともに、当時同寺に身を寄せていた野僧【P9】師からその易筋行として右不動禅少林寺拳法の伝授を受け、その後も厳しい修業を続けた結果、兵役をおえた後である昭和一五年にやつと不動禅少林寺拳法の印可を授けられ(第三二代、野僧としては第一六代)、翌一六年には法嗣または宗家の継承を許され、【P5】と号することも許されたのである(この頃被告は二六才ぐらい、【P9】師は七三才ぐらい)。被告はそのさい【P9】師から如意棒、達磨像および数珠を受領し現にこれを保管しているが、その数珠の納められている桐箱表には「不動禅少林寺拳・高祖廿九代祖師・云々」と墨書されている(なお、ここに廿九代とは野僧一三代【P10】のことである。)。これによつて、被告の継承している拳法こそ正統の不動禅少林寺拳法であり、その普及事業の名称を「不動禅少林寺拳法道院」とし、時に冒頭に「日本古伝總本山」を冠するのが当然であることが明白であろう。
そして、被告は再度兵役に服し(インパール作戦に参加)、戦後昭和二一年八月大阪の肩書地に居住し、以来古伝正法の不動禅少林寺拳法の普及につとめてきたものであり、現在は本部(肩書地所在)と国内支部二四、海外支部若干(ロスアンゼルス等)を擁し、またこれとは別に大学高校のクラブも一三(一、五〇〇人)を数え、被告の拳法修得者は三万人余にもなつている。もつとも、被告は原告のように武道の精神を離れた宣伝活動や政治的活動をしないため、その事業収支は地味なもので、入門登録料(一人三、〇〇〇円)、布施(月謝のことで一人一、五〇〇円)、寄付金等を収入とし、これにより道院維持費、事務費(奉仕費という)、大会費用、社会福祉行事参加費、被告の生活費等をまかないほぼ収支相償つており、
赤字が出ると後援者有志の特別寄付を仰いでいるぐらいである。したがつて、およそ被告は不正競争防止法が適用されるような営業を行つているものでもないわけである。
二 以上のような次第で、原告の「金剛禅少林寺拳法(道院)」という名称と被告の「不動禅少林寺拳法(道院)」という名称は冒頭の三文字によつて判然と区別されうるのであるから両者に類似性はない。
このことは次のような事実によつても裏付けられる。すなわち、【P1】は昭和三九年七月物品類別二六類印刷物、書画等に関し「金剛禅少林寺拳法」と「不動禅少林寺拳法」との二つの商標登録の出願をし、昭和四〇年四月一二日ともに公告され同年八月一八日登録されたのであるが(後者は明らかに被告を意識した使用の意思もないのになされた悪質な出願であるが)、いずれにせよ両者とも互いに独立して登録されたということは、特許庁が事業(営業)表示に関するものではないが、
物品を表示する商標の場面において、両者は類似せず互いに識別可能であると判断したことを示すものにほかならない。
4 混合の有無について 原、被告の表示に類似性がないから両者を混同することはありえない。ことに、
被告は前記のとおり戦後一貫して大阪で自己の拳法の指導教授にあたつており、少くとも昭和三九年以来大阪で「不動禅少林寺拳法」といえば被告の拳法であることは明らかである。これに対し原告のそれは前記のとおり普通「金剛禅」とか「四国の拳法」といわれており、混同など生ずるおそれもない。すなわち、被告は昭和三九年一〇月九日大阪祭協会、大阪読売新聞社、読売テレビの主催で大阪球場で開催された大阪祭参加の「日本武道祭」に出場したときから一貫して「不動禅少林寺拳法」と称してきた。そして、その後も同一名称で大会を開き、万博の前夜祭その他各地の武道大会に出場し、新聞やテレビで広く報道されてきた。また、被告は昭和四〇年に東宝映画「姿三四郎」の演技指導をし、昭和四五年には東京フジテレビの「御前試合」(六〇分番組)にも出演しこれは全国に放映された。このように被告の拳法またはその普及事業こそ周知であつて、よほどのものでないと原告のそれと混同するはずはないのである。
5 原告の営業上の利益を害される虞れについて 原告は抽象的に「信用を害される虞れがある」というだけであつて具体性がない。
(抗弁)1 慣用表示の抗弁(不正競争防止法2条1項2号) 被告の使用している「不動禅少林寺拳法(道院)」または「日本古伝總本山不動禅少林寺拳法(道院)」なる事業表示は拳法普及事業に慣用せられる名称を普通に使用する方法で使用しているものであるからいずれにせよこれを使用することが原告に対する不正競争行為となるものではない。
ことに、原告が被告表示の要部であるという「少林寺拳法」という名称は中国で体系化された拳法を指す普通名称であつて、わが国でも拳法の一派を現わす名称として慣用されているものである。
一 まずその用語を文献についてみるに、(中国)(イ)今から四〇〇年前に明の万暦年間に著わされた謝肇●著「五雑爼」に「少林寺拳法」という名称が正確に使用されている(乙第三一、第三二号証)。(ロ)【P1】自身もその著「少林寺拳法入門案内」の中で「少林拳法というのは、支那の最も古く且つ完成された徒手空拳の武術の一般的呼名であり」と述べ(乙第二号証の四)、同じく「少林寺拳法教範」でも「易筋行が…この法術発祥の寺の名を付して少林寺拳法と称されるようになつた」等々と述べ(乙第二九号証)、同じく「秘伝少林寺拳法」でも「世界最古の歴史を有する少林寺拳法が…」と記述している(甲第一号証の四頁)。(日本)ところで、日本では前述のとおり大智禅師が中国で修業したさい少林寺拳法を修得したうえ西暦一三二四年に帰国し、これを仏弟子に伝授したといわれており(乙第三四号証三七六頁)、日本でも「少林寺拳法」という名称が具体的な実体を有する中国武術を指すことは以下のとおり少くとも昭和の初期には周知となつていた。
すなわち(イ)昭和二年に少年倶楽部に連載された長編小説【P11】著「豹の眼(ジヤガーのめ)」(乙第一号証)に右のことが記載されており、これは当時の少年に広く購読された。(ロ)また、昭和五年東京帝国大学唐手研究会が著わした「拳法概説」(乙第六号証)の中でも少林寺拳法が鎌倉時代にわが国に入つたとの紹介があり、この部分は【P1】が前記「少林寺拳法教範」(昭和二七年発行・乙第二九号証の二五頁)においてそのまま盗用しているところでもある。
二 以上のようなことを背景として、わが国においては中国少林寺に源を発する拳技を表わすために「少林寺拳法」なる語が用いられ、これは同時にその普及事業を現わす慣用表示として普通の用法によつて用いられているのである。これを例示すると次のとおりである。
(1) 金剛禅少林寺拳法(原告)(2) 河南派少林寺拳法(東京)(3) 少林寺拳法(富山)(4) 少林寺空手術(鹿児島)(5) 少林拳法連盟(福岡)(6) 少林寺達磨流(7) 少林寺鶴派2 善意先使用の抗弁(同法同条同項四号) かりに然らずとしても、被告の使用する本件事業表示は、以下述べるとおり、原告の事業表示がわが国で広く認識せられるようになる以前から、被告において善意で使用してきたものであるから、その使用はいずれにせよ不正競争行為とはならない。すなわち、
まず、先に述べたとおり、【P1】が「金剛禅少林寺拳法」なる事業表示を用いるようになつたのは宗教法人總本山少林寺を設立した昭和二六年一二月二五日以降のことである。
ところが、被告はすでにその頃肩書地において「不動禅少林寺拳法」なる表示により、原告とは無関係に、すなわち善意で、拳法を指南していた。すなわち、被告は早くも昭和八年一〇月には長崎県諫早で行われた武徳会で【P9】老師とともに「少林寺拳法」と称し拳法の演武をした。その後同年から一〇年までの間は当時大阪市<以下略>にあつた日本体道連盟大阪府本部錬心館道場(【P12】経営)で「少林寺拳法」の名で門下生に拳法を指導した。そして、戦後は昭和二一年八月から肩書地で「不動禅少林寺拳法」の名の下で再び拳法の指導にあたり、昭和二五年からは大阪市内の<以下略>、等々でも「少林寺拳法道院」を設置してきた。
そして、右事実を裏付けるものとして次のようなことを挙げうる。(イ)昭和一六年宗家継承のさいに譲受けた数珠の桐箱表に「不動禅少林寺拳・云々」と記されていることは前述した。(ロ)【P9】師は同年右宗家継承を記念すべく光宗寺内竹藪の中に木標を建立したが、その表面には「達磨伝少林寺拳法」と、裏面には「不動禅満願」と書かれていた(検乙第一一号証)。(ハ)被告が昭和二八年春頃大阪市<以下略>の錬心館道場で少林寺拳法を指南していた頃の門下生募集案内板にも「少林寺拳法部」と記載している(検乙第一号証)。(ニ)被告が昭和二一年から同三一年頃まで用いていた表札にも「少林寺拳法」とある(検乙第七号証)。
(ホ)昭和三六年と昭和三八年に被告が肩書地の本部道院前で娘(三女、昭和二七年生、九才および一一才の頃)とともに被写体になつている写真には看板も写つており、そこには「不動禅少林寺拳法道院」と明記されている(検乙第一二、第一三号証)。(ヘ)被告は今次大戦において昭和一九年三月から始まつたインパール作戦に従軍し、そのさい千人針の腹巻きの中に【P9】老師から授かつたお守りを縫込み着用していたのであるが、そのため腹部に刀創を受けながら一命をとりとめた。このほど右お守りを取出してみると、そこにはなんと【P9】師の直筆で「不動禅少林寺拳」と記されたうえ歴代宗家中一七代からの名が順次【P5】(被告)にいたるまで記載されていた(乙第五八号証、検乙第一四号証)。
もつとも、被告は一時的に「少林寺源不動拳法」あるいは「少林寺不動拳法」という名称を使つたことがあり、また被告不知の間に「拳法不動流」という名称で被告の拳法を表示されたことはある。しかし、その実情は次のとおりである。
まず、前者については、昭和三一年秋頃被告が南区<以下略>の【P12】方柔道場で少林寺拳法を指導していたところ、【P1】側から再三「少林寺拳法なる表示は【P1】が特許登録ずみであるから他の者は使用できない。」といつてその使用禁止を申入れてきたことがあつた。法律にくらい被告は驚いて【P12】に相談したところ、同人はトラブルを嫌い少くとも事実を調査するまでは「少林寺源不動拳法」としておくよう強くすすめた。そこで、被告は不本意ではあつたが、道場借用の身でもありこれに従つたのであるが、やがて前記申入れが【P1】側の詐術であることが判明したので昭和三七年頃から右名称の使用を取り止めている。
後者については、被告が一時的に「少林寺源不動拳法」と称していた昭和三四年の一一月九日大阪で日本古流保存会の大会が行われたさい、大会理事長【P13】が開催直前になつて【P1】側から申出された「被告の名称中の『少林寺』という表示を除かないかぎり大会に参加しない。」という不当な要求に押され、困つて被告に無断で勝手に大会プログラムに被告を「拳法不動流」として紹介してしまつたものである。以後の古武道大会のプログラムでも同様の経過がある。
しかし、被告は肩書地本部においては一貫して「不動禅少林寺拳法」と称してきているのである。
なお、長崎の光宗寺には現在「少林寺源不動拳法」と刻した石碑があるがこれは被告が建立したものではない。これは同寺の【P14】師他有志が昭和三七、八年頃先に述べた竹藪内の木標(検乙第一一号証参照)を除去し、そこに納骨堂を建てたさいにこれに替えて建立したもので、当時被告が一時的に少林寺源不動拳法と名乗らざるをえなかつたことからそのように刻したものと思われる。
3 衡平法あるいはクリーンハンドの原則に照らし、原告には被告に対し本訴のような表示使用差止請求をする資格を有しないとの抗弁 被告が古伝正法の不動禅少林寺拳法第三二代(野僧としては第一六代)宗家として「不動禅少林寺拳法(道院)」を普及事業名に用いることが正当であり、かつ当然であることはすでに述べたとおりである。被告の拳法がいかに素晴しく強く正しいものであるかはこれをみた者ならすぐわかる。
しかるところ、【P1】したがつてまた原告が「金剛禅少林寺拳法(道院)」を名乗ることは極めて不当であり、むしろ詐称ともいうべき悪質な行為である。そして、このような者が巧みな宣伝工作や本部建物の大きさ等だけに拠つて正統の被告に対しその名称の差止を求めるがごときことは衡平法に反し、またクリーンハンドの原則にも反しとうてい許されるべきものではない。
そもそも【P1】の拳法は禅の宗門と何の関係もない。中国の拳法は歴史上、内家拳(在家すなわち世俗にある者の拳)と外家拳(出家すなわち僧侶の拳)とに大別され、義和拳、白蓮拳、八卦拳等は前者に属し、少林寺拳法は後者に属するもので嵩山少林寺で僧侶が易筋行として行つていたものを指すのである。ところが、
【P1】の拳は、自らその著書に記しているとおり内家拳である白蓮拳や義和拳に基き、これらに日本の八光流柔術などもとりいれた寄せ集めの武技である。そして、白蓮拳や義和拳はむしろいうなれば浄土宗や念仏宗の系統の白蓮教、義和門教に関連しているのである。したがつて、【P1】や原告が自らの拳法をいかにも禅宗の「金剛禅」に関係ある「少林寺拳法」であるかのように称するのは世人を欺瞞し、惑わすこと甚しいといわねばならない。
そのほか、原告の門下生らは被告らに対し数々のいやがらせ、悪行をなしており、被告はただただ真の武道の精神に則り忍んでいるのである。【P1】が他人の著書を無断盗用する者であることは先に述べた。被告が一時事業名を変えざるを得なかつたのも【P1】側の不当な画策による。使いもしない「不動禅少林寺拳法」なる商標権を取得したことも述べた。原告の門下生数十名が昭和四八年頃(本訴提起前後のころ)約二カ月間夜毎被告方近辺に押しかけ「にせ者。名称をかえろ。」と怒号し投石し悪質な檄文を記したビラを貼付した(乙第一三、第一七号証)。同年三月二二日大阪市役所記者クラブ等に悪意に満ちた投書をした(乙第一四号証の一、二)。昭和四八年七月一五日被告側富山支部発会式に原告側門弟【P15】他数名の者が鉄錫杖を携行乱入し式典を妨害した(乙第一五号証)。被告方本部入口付近や分院の看板をスプレー式ペンキで塗りつぶしたり、「死死死死」と落書きした(検乙第三ないし第六号証)。電話によるいやがらせも絶えない。その他、原告の門下生は昭和五二年一二月一〇日横須賀中部道院内でささいな口論から一五才の少年二人を集団リンチにより死に至らせている(乙第四四号証の一、二)。等々。
現代の事業は一面において弱肉強食の論理の下に成立つているが、競争は公正でなければならない。不正競争防止法はこのことを保証するものである。このような趣旨からするとアンフエアな者は同法の保護を受けえないと解すべきである。
原告の反論
(被告の前記第四における反論に対して)1 被告は原告の事業表示である「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」が自他識別力のない普通名称であるかのように主張しているが、これはもとより誤りである。このことは後記被告の抗弁1に対する認否の項で述べる。
ただ、ここでは、およそ不正競争防止法に関連して右名称を論ずるということは事業表示として論ずるのであつて、拳技内容を指すものとしてこれを論ずるものではないという点を指摘しておきたい。拳技内容をいう場合に時に「少林寺に発した歴史的拳技」という趣旨で「少林寺拳法」という語を用いていることも見受けられるが、このことは本件と関係ない。それは正しくは「少林拳」というべきであることもすでに述べた。しかも、それは内容を伴わぬ単なる歴史上の伝承としての拳法をいつているだけである。実体のある具体的な拳法内容を「少林寺拳法」と名付けたのは【P1】が初めてである。そして、事業表示または団体名として「少林寺拳法(道院)」なる名称を初めて使用したのも【P1】なのである。
なお、ここで、わが国の拳技団体をその名称に関し類別すると次のようになる。
(1) 【P1】のあみ出した拳法すなわち少林寺拳法を教えて「少林寺拳法」と名のるもの(原告)。
(2) 右と同一の拳技を教えて「少林寺拳法」と名のらないもの(原告方で習いながらその組織に属しない団体(福岡の少林拳武徳会)。
(3) 少林寺拳法と異なる拳技を教えながら「少林寺拳法」と名のるもの(現在被告のみ。他は名称を変更した。)。
(4) 少林寺拳法と異なる拳技を教え、「少林寺拳法」と名のらないもの(太極拳、不動拳法ー被告の旧表示ー、源心御流拳法道等)。
空手、唐手は少林拳に起源を発しているが、もはやその武技を拳法とはいわず、
拳法と名のる団体もない。これは他の類型である。
以上のような次第で、原告は空手団体が達磨流とか少林寺流唐手と称してもその使用差止めを求めない。原告は拳技団体が原告固有の名称である「少林寺拳法」と称している場合にのみその使用差止を求めているのである。また、「少林寺より出た拳技」を「少林拳」「少林寺の拳法」といわず「少林寺拳法」と記したスポーツ書、小説等については、権利としてその用法の差止を求めないが、正しく変更されるようお願いしているのが実情である(「東京のタワー」と「東京タワー」、「日本の銀行」と「日本銀行」、「日本の酒」と「日本酒」とは異なる。)。
2 被告は自らの事業表示に関して、被告こそ少林拳(被告はこれを誤つて少林寺拳法と称しているわけであるが)の正統な継承者であることを強調しているが、いうところの継承自体どこまで本当か信用できない。げんに被告は自らを少林寺拳法の「一六代宗家」「宗家」「宗師家」「五七代宗師家」「三二世法嗣師家」等々と称し、変動して定まらない。のみならず、本件においては、過去に一対一の拳技継承があつたか否か、継承につき如何なる伝承が存するかといつたようなことは本質的な問題ではない。
(被告の前記第四における抗弁に対して)1 慣用表示の抗弁は否認する。
そもそも、被告は「少林寺拳法(道院)」なる名称が慣用表示であるといつているのか普通名称であるといつているのか不明確である(もつとも、元来は識別力を有していた表示が多くの者に慣用されることにより単なる普通名称になつてしまい、両方の評価を受ける場合もないではない。しかし、本件がそのようなケースでないことは被告の主張だけからしても明らかである。)。
一 いずれにせよ「少林寺拳法(道院)」なる名称が拳技普及団体の慣用表示であるというためには、永年にわたり不特定多数の拳技団体が自己の拳技普及事業を「少林寺拳法(道院)」と称してきた事実がなければならない。しかるに、原告から分派した者(福岡の【P16】)すら右名称を使用せず「少林拳武徳会と称しており、現在前記名称を使用しているのは被告だけである。「少林寺拳法」を名のるものが原告と被告だけである状態でこれを慣用表示などとはとうていいえるものではない。
被告が挙げている慣用例はいずれも実在しないか、または適切な引例ではない。
すなわち、その1は原告にほかならない。2は実在しない。3も実在しない。富山には「唐手静空館」はある。4も実在しない。鹿児島には「少林寺流唐手」はあるが、これは空手である。5は「少林拳武徳会」と改称しているが、これをもつて「少林寺拳法」の慣用表示例とはいえないことはその文字構成からして明らかである。6も空手の達磨流である。7は【P17】氏のものと思われる。
二 また、「少林寺拳法」なる表示が普通名称でないことも明らかである。普通名称とは当該名称がある多くのものについての一般的な名称として認識されている場合の当該用語をいうのであるが、たとえ普通名称であつても、ある特定人がこれを表示として初めて使用し、その時には第三者がまだこれを特定表示として使用していない場合や、特定人が自己の表示として普通名称の使用を継続することによつてその時点では当該特定人の表示であることを関係者が認識しうることができるようになつた場合にはそれは識別力ある表示となる。商標において「五色素麺」が旧四七類そうめんに、「東京羊羹」が旧四三類ようかんに、「サトー式」が旧一七類農機具にそれぞれ登録されているのはこのゆえんである。「少林寺拳法」についても、【P1】がこれを表示として使用しはじめたとき、かりに世人がこれを伝承としてばく然と中国で達磨の伝えた少林寺の拳法を指すものと認識していたとしても、「少林寺拳法」という語はもともと特徴もあり、【P1】の暫らくの使用によつてすぐに同人の拳技普及事業を指すものとして識別力を生じたのである(使用による識別力の発生)。
「道院」という語についても、道教の修行場としてはむしろ「道観」の方が周知で広辞苑にもこの語しか登載されていないぐらいであるから、これが特別顕著性ある語であることはいうまでもなく、これが【P1】の拳技普及団体またはその施設を指すものとして識別力が生じていることは「少林寺拳法」の場合と同様である。
2 善意先使用の抗弁も否認する。
一般に、善意先使用をいうためには、当該表示を従前より使用していたとの主張のほか、(イ)不正競争目的のないこと、(ロ)使用が継続されていたこと、
(ハ)継続使用表示が周知表示と同一性あることの主張が必要である。
一 まず、【P1】の表示の周知性確立前の被告の使用表示が「少林寺拳法」または「不動禅少林寺拳法」であつたとする点は認め難い。被告が戦前に【P9】師なる人物から「少林寺拳」の名の下に拳技の継承を受けたとしても、右の名が直ちに被告の事業表示の使用となるものではない。かつて長崎光宗寺の木標に何と記されていようとそれが直ちに被告の事業表示とならないことも右と同じである。また、
被告が従前使用の証左として主張する看板等の字は実際はうすくて判読不能のものばかりで信用できない。
かりに古い時代の先使用が認められるとしても、被告はその後色々と自己の事業表示を変えていること次項で述べるとおりであるから、継続使用の要件を欠くことも明らかである。
二 被告の事業表示の変化は次のとおりである。
(1) 被告がはじめて自己の事業表示を「少林寺拳法」(または「日本伝少林寺拳法」「日本少林寺拳法」)と称したのは昭和三一年一一月二四日の第一回の発表会であつた(甲第六五号証、第二六号証)。この時期には「不動禅」とは称していない。
(2) 昭和三四年一〇月一八日の第三回大会では「少林寺源不動拳法本部」「不動拳法」と称し、これに「日本伝」などと附加している(甲第六六号証)。
(3) 翌三五年一〇月二三日と三六年一一月五日の第四、第五回大会では「日本動禅少林寺源不動拳法」となつている(甲第六七、第六八号証)。
(4) 昭和三七年一一月一八日の第六回大会では「日本動禅少林寺不動拳法(本部)」である(甲第六九号証)。
(5) そして、被告はその後昭和四一年の第七回大会までは大会を開催せず、
右第七回で「日本古伝不動禅少林寺拳法」という「日本古伝」なる修辞と「不動禅」なる宗教表示を附した「少林寺拳法」に逆もどりしたのである(甲第七一号証)。右の間は、「不動拳法」の名称のほかに「不動流」とか「不動流少林寺拳法」という名称も現われている。
(6) なお、前記昭和三七年の第六回大会では初めて「道院」なる原告表示の模倣の原形たる「少林寺不動拳法研修動院会」なる表示も現われている(甲第六九号証)。
(7) 被告はそのほか自ら建立した石碑にも「不動拳法」と刻している(検甲第一ないし第三号証)。
以上で明らかなとおり、被告は自己の事業表示を定見もなく次々変えており、しかも重要なことはこれを少しずつ原告の表示の要部である「少林寺拳法」に接近させてきている点である。このことは被告の不正競争性を示すものであつて、両者の類似性や善意先使用の要件の判断にさいし参しやくされるべき重要な点である。なお、被告は使用マークや僧衣をまとうことなどにいたるまで少しずつ原告の真似をしてきているものである。
被告は自己の表示の変遷の一部を認めながら、それが恰かも自己の責任によるものでないかのようにいうがとうてい信用できない。たとえば、被告は昭和三四年「不動流」と名のつたことを故【P13】の無断変更であると主張しているが、その後の同人と関係のない大会でも同じ名称を使用している(昭和三八年一〇月四日と同三九年五月四日。甲第七号証の一ないし四、第八号証)。
3 クリーンハンドの原則等をいう抗弁も否認する。もともと、不正競争防止法を論ずるさいに、少林拳または嵩山少林寺の拳法の伝承とか被告がどのようにして自己の拳法を継承したか、あるいはその拳技がどのようなものであり、強いか弱いか、というようなことは全く関係がない論点である。被告が自己の拳法を自負し、
いうところの継承を事実として信ずるか否かは被告の自由である。
このことは【P1】や原告についても同様である。しかし、本件での問題は被告の事業表示の不正競争行為性の存否である。原告を悪しざまにいう被告の主張に一々応答する必要はない。
証拠(省略)
理 由
不正競争防止法一条一項二号に基く差止請求について
一 要件事実の存否1 (原告の事業) 様式体裁により真正に成立したと認める甲第三号証および原告代表者【P18】本人尋問の結果(第一回)に弁論の全趣旨を総合すると、原告は昭和三八年一〇月二一日少林寺拳法を研究・練磨し、その普及発展を図ることを目的として設立された社団法人であつて、右目的達成のため少林寺拳法の精神的基盤や技術の研究、演武会、大会等の開催、図書パンフレツト機関紙の刊行等々の事業を行つており、機関も整備され、かつ、独立した会計収支の上に立つて運用されている団体であることが認められる。
被告は、右のような事業を行う者は原告ではなく、昭和二六年一二月二五日に設立された宗教法人総本山少林寺(管長【P1】)である旨主張するところ、後記認定事実によれば、少林寺拳法なる拳法はもともと【P1】が香川県の<以下略>で前記少林寺の宗門金剛禅の行として伝授を始めた武技で、原告は設立と同時に同人の行つていた右少林寺拳法普及発展事業一切をそのまま承継したものであることが認められるから、原告と前記少林寺とが密接な関係にあることはいうまでもない。
しかし、右のような事実関係だけで、原告の前示事業の主体性を否定できないこともちろんである。
また、被告は、原告の右事業は営利事業ではないから(そのことは原告も自認している)これを不正競争防止法1条1項2号所定の「営業」ということはできない旨主張している。しかし、同法条項にいう「営業」とは単に営利を目的とする業務だけではなく、広く経済上収支の計算を立て経済秩序の一環として行われる事業いいかえれば商工業のみならず農林水産業等の原始産業はもとより病院、学校その他の社会福祉、文化活動上の事業をも含むと解すべきである。けだし、右に指摘のような非営利事業といえどもその存立が事業上の円滑な収入収益にかかつている点では営利事業と共通の側面を有しており、また現在のように高度に多様化され複雑化された経済社会において同法条の規制対象業務を単に営利事業のみであると解するときは、同法の目的理念の一つである客観的な取引経済秩序の公正維持ひいては一般利用者(消費者)の保護を十分に果しえない結果にもなると考えられるからである。
そうすると、原告の拳法普及事業も不正競争防止法1条1項柱書および二号所定の「営業」というに十分である。被告の前記主張は失当である。
2 (原告の事業表示) (一) 原告の正式名称が「社団法人日本少林寺拳法連盟」であることは当事者間に争いないところ、成立に争いない甲第一号証(カツパブツクス新書版【P1】著「秘伝少林寺拳法」)、第四六号証等(原告の機関紙)や証人【P1】の証言、
前掲原告代表者本人尋問の結果(第一回)によると、原告は前記正式名称のほか自己の事業表示として端的にその要部である「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」なる名称をも使用していること、もともと右事業表示「少林寺拳法」は【P1】が終戦後、かつて中国の東北地方(旧満州)で習得した義和門拳等の拳技を総合整理し、自ら剛法柔法整法の三法六百数十の基本技を編み出しこれを「少林寺拳法」と称したことに由来すること(但し、その正確な時期は後記3項参照)、以上の事実が認められる。
(二) ところで、被告は、原告の右各名称は普通名称であつて、格別事業表示としての表示力または自他識別力を有しないものであり、原告の場合は「金剛禅少林寺拳法」「金剛禅」または「四国の拳法」と称されるとき始めて他の拳法団体と区別認識され特定される旨主張しているので検討する。
(1) 「少林寺拳法」という名称について まず、「少林寺拳法」なる語が一般の辞書辞苑の類いに掲載されていないことは当裁判所に顕著な事実である(「沢庵」が掲載されている点参照)。
もつとも往時中国河南省にある嵩山少林寺において古くインドから伝えられたといわれる易筋行(禅門の修行の一つ)として拳法という武技が行われていたとの伝承の存すること、それゆえ我が国でも原告(またはその前身である【P1】)が自己の事業表示として右名称を使用する前から、時に右伝承にかかる拳法を「少林寺拳法」といつていたこともあることはいずれも当事者間に争いがない(乙第三号証も参照)。
したがつて、右名称はあるいは拳法の一流儀を指す語として一般名称化されていたかのように思われないでもない。しかし、右にいう「少林寺拳法」なる語の意は単なる歴史上の伝承秘技としてこの武技を指しているにすぎず、【P1】のように特定の具体的な内容または実体を有する拳法の名称として使つているものではない。のみならず、我が国では右拳法流儀を指す用語としてはむしろ「少林拳法」「少林寺の拳法」(成立に争いない乙第一号証の昭和三年発行【P11】著「豹の眼(ジヤガーのめ)」)、「少林派の拳法」「少林寺派の拳法」(成立に争いない乙第五号証の一、二の昭和二五年の新聞小説【P4】作「風流あじろ笠」)、「小林寺拳法」(成立に争いない甲六号証の昭和五年東京帝国大学唐手研究会発行「拳法概説」)、「少林寺劔法」(成立に争いない乙第一二号証の大正八年刊【P19】拙著「達磨の足跡」)等種々に呼ばれ一定していなかつたことが明らかである(なお、中国においてはこれを「少林拳」と称し「少林寺拳法」とは称されていなかつたことについては当事者間でも争いがない。もつとも成立に争いない乙第三一、第三二号証によると、中国の明の万暦年間(一六ないし一七世紀)に謝肇●(しやちようせい)の著わした「五雑爼」中には「河南少林寺拳法天下所無…」との記載もみられるところであるが、これとても少くとも我が国の保存版には「少林寺」と「拳法」との間に片仮名「ノ」の送り仮名が付されていることが認められる。)。
かえつて、成立に争いない甲第一三号証(同第二四号証も参照)によると昭和四五年大修館書店発行の「現代スポーツ百科事典」の拳法の欄では「少林寺拳法」はほかならぬ【P1】が普及発展に努めている拳技として、【P20】によつてはじめられた「日本拳法」や中国の「太極拳」と並べ、これを特定名称として使用していることが認められる。
そうすると、「少林寺拳法」を普通名称と考えることは困難であり、右名称は特定の事業表示として十分に自他識別力を備えているものといわなければならない。
また、かりに右名称が普通名称とみられなくもない側面を有しているとしても、
前記認定事実によると、それが【P1】やその承継人である原告によつて事業表示として相応の期間使用されたことによつてすでに自他識別力を獲得するにいたつていると解しうること原告主張のとおりである(事業表示ではなく、商品表示に関するものではあるが、原告指摘の「東京羊羹」「五色素麺」「サトー式」等の表示例を参照)。
もつとも、成立に争いない乙第七号証によれば、【P1】は昭和三九年七月二七日いずれも指定商品を二六類印刷物、書画、彫刻、写真、これらの附属品として「金剛禅少林寺拳法」、「不動禅少林寺拳法」という二つの文字商標につき各別に登録出願をなし、翌四〇年八月一八日その登録を受けたことが認められる。そして、これによれば特許庁においては両者は互いに類似しないものと判断したのであり、その根拠は、両者は「少林寺拳法」の部分では共通するが、冒頭の「金剛禅」と「不動禅」との三文字の部分の称呼観念等の相違に着目したものと容易に推察しうるところである(商標法4条1項11号参照)。しかし、このことは直ちに特許庁が「少林寺拳法」なる構成部分の商標としての自他識別力を否定したことを意味するものではないし、またそもそも特許庁における商標の登録要件審査基準がそのまま不正競争防止法における営業(事業)表示の自他識別力または表示力の存否判断の基準として妥当するものでもないことも明らかであるから、前記事実はもとより前記判断を左右するものではない。
(2) 「道院」という名称について 「道院」なる語が一般の辞書辞苑の類いに掲載されていないことも当裁判所に顕著な事実である。のみならず、かつて我が国において「道院」なる語が国語として用いられたことを裏付けるに足る証拠もない。
かえつて、前掲証人【P1】の証言および原告代表者本人尋問の結果(第一回)によると、「道院」とは道教の寺院または道士の修業場を指す中国語であつて、我が国の代表的な国語辞典(新村出編「広辞苑」)でも同義語として「道観」なる語が登載されているにすぎないこと、【P1】したがつて、原告)が自己の事業表示の一部として右「道院」なる語を採用したのは、【P1】がかつて中国において拳技を習つた場所の一つに道院があつたことを想起し、これに因んで特に自己の拳法を教授普及する場所の名称として使用するようになり、ひいてはその事業表示の一部としたものであることが認められる。
以上の事実によると、「道院」なる語はもともと中国語であり、かつ日本で外来語として普通名称化したものとも解しえず、むしろ、【P1】が終戦後独自の創見により使用をはじめた造語に近い用語用法であつて、いまこれを「少林寺拳法」なる語と結合させ「少林寺拳法道院」と使用するときはほかならぬ原告の特定拳法普及事業を指す表示として特別顕著なものとなつていると解される。のみならず、
「道院」なる表示はひいては「少林寺拳法」なる事業表示の単なるサブネームというよりも、むしろ独立して「道院」といえばほかならぬ原告の拳法普及事業施設または事業そのものを示すものと考えて差支えないほどのものとも解しうるところであつて、この意味で「道院」なるネーミングは「少林寺拳法」なる語の表示力に優るとも劣らぬ表示力を有するとの評価が与えられて然るべきである(我が国においては従来武技の練習場としては一般に「道場」なる語が用いられてきたこと参照)。
以上のとおりであるから、原告の前記「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」なる事業表示を普通名称であるという被告の主張は採用することができない。
3 (原告の事業表示の周知性)(一) 成立に争いない甲第一、第一三号証、第一八号証、第四〇号証、第四三ないし第四六号証、第四七号証の一、二、第五〇、第五六、第五七、第六二号証、第八八号証の一ないし四、乙第五号証の一、二、第八、第一〇号証、第二一号証の一、二、第二九、第三三号証、様式により真正に成立したと認める甲第二号証の一ないし八、原告代表者本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したと認める同第八五号証の一ないし三四三、被告本人尋問の結果(第二回)により真正に成立したと認める乙第二号証の一、二に前掲証人【P1】の証言、証人【P21】の証言、原告代表者本人尋問の結果(第一、二回)および原告本部検証の結果を総合すると次の事実が認められる。
(イ) (当初) 〇〇〇〇のちあらため【P1】は昭和二二年頃前記のとおり香川県の<以下略>において禅宗の宗門の行と銘打つて拳法の指南を始め、自己が中国で習得してきた義和門拳や日本の八光流柔術などを総合研究し独自の流派を編み出したものであるが、当初はこれを「少林拳法」(乙第二号証の一の五頁二行目から四行目)、「日本北派少林拳法」と称しており「少林寺拳法(道院)」とは称していなかつた。
そして、【P1】の拳法はその努力や時流に合致したこともあつて次第に香川県を中心に普及するようになり、昭和二五年には時代小説家【P4】の聞き及ぶところとなり、【P4】は【P1】の拳法を当時の新聞連載小説「風流あじろ笠」(大阪新聞等のローカルブロツク紙に掲載)の中に主人公青年禅僧普鈴の使う拳法として「少林派の拳法」または「少林寺派の拳法」の名で採り入れた(乙第五号証の一、二)。これはやがて映画化もされた(ただし、昭和二九年春)。また、昭和二六年五月には【P1】は門下生とともに小説家【P22】方(東京在)で【P4】ら立会の上自己の拳法の実演を行い、これが大阪新聞等の社会面にも前記小説「風流あじろ笠」に因んでこれを「日本北派少林拳法」として紹介掲載されたこともあつた(乙第八号証)。
なお、【P1】の拳法は昭和二五年五月INSテレニユースでも報道された(甲第四三号証)。
(ロ) (昭和二七年から三一年末頃まで) 【P1】はやがて昭和二六年一二月二五日新宗教法人法施行に伴い宗教法人総本山少林寺の設立認可を受け、自ら管長に就任し、遅くともこの頃からは自己の拳法を「少林寺拳法」と称し、「道院」なる語も使用するようになり、〇〇〇〇編の名で「少林寺拳法教範」なども出版した(乙第三三、第二九号証)。
そして、昭和二七年には豊観支部や観音寺道院を発足させたのをはじめとして近辺で演武会を催すなど次第に「少林寺拳法」普及事業を拡大させ、昭和三〇年一月の演武大会には時の香川県知事【P23】を大会会長に委嘱するまでになつた。
少林寺拳法は昭和三〇年東宝映画「天保六道銭」において、また同三一年大映映画「大映花頭布」において、それぞれ採り入れられ紹介された。また、昭和三一年にはNHKテレビ連続子供番組「黒百合城の兄弟」でも同じように紹介された。
(ハ) (昭和三二年以降) 昭和三二年にはすでに「少林寺拳法」と題する機関紙も発行され、その三月五日号にははやくも被告を名指して原告の「少林寺拳法」の名声に乗じ同名を名乗るにせ師範であるとする攻撃記事(昭和三一年末の被告との会見記)を記載している。
その後の【P1】または原告の少林寺拳法(道院)普及事業の発展ぶりはことのほか目ざましく、【P1】は昭和三八年には光文社発行カツパブツクス「秘伝少林寺拳法」(昭和四八年で五四版)や昭和四六年にも日貿出版社発行の全二六五頁写真入りA四版豪華版「少林寺拳法その思想と技法」を著わし、自己の事業を紹介する絵葉書も出版するようになつた。
他方、マスコミの喧伝も盛んで、これを摘記すると別紙のとおりであり枚挙にいとまなく、昭和四九年には月刊誌「潮」でルポルタージユも発表されている。また、昭和五三年には【P1】ひいては原告の事業は集英社発行【P24】著の子供慢画「少林寺拳法」にまで紹介されている。
その間、昭和三八年一〇月二一日原告法人が設立されたわけで、原告が【P1】の前記少林寺拳法普及に関する一切の事業をそのまま承継したものであることはすでに認定したとおりである。
(ニ) (原告の事業規模) 原告は昭和四九年現在すでに北は北海道から南は九州にいたるまで全国に一、一〇〇余の支部道院を置き、大学の運動部クラブ約二四〇、高校のそれ約八六(海外分は本邦外であるから省略)を有し、その会員数は二二万名余、修業者数五〇万名強であり、準学校法人「日本少林寺武道専門学校」も附置し、その広大な本部は地元の欠かせぬ名所の一つにも数えられている(なお、前記昭和五三年発行の慢画本によると、道院九五〇、支部二、二〇〇、会員八〇万人と記されてもいる)。機関誌「少林寺拳法」も毎回約五万部発行されている。
また、年一回著名人を役員等として招き東京の日本武道館で全国大会を開催するほか全国各地で演武会を催している。
(ホ) (その他) もともと拳法なる武技は我が国では歴史的伝承としては格別、具体的な内容を有するものとしてはなじみの少ないものであつたところ(戦前からの柔道、剣道、空手、弓道等の普及度参照)、戦後主として【P1】や原告の「少林寺拳法」なる拳法の普及活動によつて今日広く知れわたるようになつたのであるが(但し、【P20】草創の「日本拳法」等も存することはすでに認定したとおり)、その間「少林寺拳法(道院)」を称するものは時にたとえば原告から脱会した者が称する等二、
三の例があるにはあつたが散発的でその規模はいずれもとるに足りず、現在では、
これを使用するものは原告と被告以外には見受けられない。
以上の事実が認められ、他に右認定事実を左右する証拠はない。
(二) 以上の事実関係によると、「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」なる名称は、原告の事業規模等からして、単に一地方のみでなく全国的に、ことにスポーツとしての武技に関心を有する青少年層の間において、ほかでもない原告の事業表示として周知されているものというべきである。
ただ、その周知性確立時期については事柄の性質上正確に年月日をもつて明確に一時点を指摘し確定することは困難であり、ことに本件では被告の善意先使用の抗弁に関連して微妙な点も存する。本件においては、ここにいわゆる周知性とは、一般には必らずしも全国的に認識されることをいうのではなく一地方において認識されていれば足りると解されている点も勘案し、昭和三一年末(したがつて、【P1】の個人事業の時代。前記(ロ)の認定事期の終期の段階。)にはその周知性を獲得したものと考える。しかし、それにより以前の段階(【P1】が本件事業表示を正確に使用し始めた昭和二七年頃以降右昭和三一年末頃までの期間)は周知性が次第に形成されてきた段階ではあつたが明確にその確立を断定するにはいまひとつ資料不足であると思われる。すなわち、原告が主張する(イ)で認定した【P4】作の新聞小説「風流あじろ笠」が発表され、またINSテレニユースで【P1】の拳法が紹介された昭和二五、六年の段階には【P1】が正確に「少林寺拳法(道院)」を名乗つていたという確証はなく、かえつて「日本北派少林拳法」等と名乗つていた時代であり、また、(ロ)の段階における昭和三一年以前の映画による拳法の紹介も特にほかならぬ【P1】の拳法(またはその普及事業)をその主体との結びつきにおいて「少林寺拳法」の名で紹介したものとも解し難い節がある。しかし、これら(イ)(ロ)で認定した出来事は、【P1】が昭和二六年末以後總本山少林寺を設立し、「少林寺拳法」を名乗り、その施設機関を「道院」と称し始め、
地道にその普及に努力したことと相俟つて、少くとも香川県とその近辺でその周知性を確立させるにあずかつて力があつたことはいうまでもない。このような時期を経て昭和三一年末【P1】側で被告と会見し被告が「少林寺拳法」を名乗ることに抗議を申入れ、そのことを自己の機関紙に掲載した段階にはその周知性は確立していたと解するわけである(その当否は別として、抗議をし機関紙に掲載したことは間接に自己の表示の周知性を示す有力な情況と考えられる。)。
なお、【P1】の獲得したこのような事業表示の周知性を、同人の事業承継人原告がそのまま援用し他に主張しうることもちろんである(善意先使用の場合につき同旨を定めた不正競争防止法2条1項4号参照)。
4 (被告の事業表示とその類否) 被告が現在自らを日本古伝正法少林寺拳法法嗣三二世師家と称し、【P5】と号し、肩書地において拳法の指南普及事業を行い、その事業表示として「不動禅少林寺拳法道院」または「日本古伝總本山不動禅少林寺拳法道院」なる名称を使用していることは当事者間に争いがない。
そして、右名称のうち「日本古伝總本山」は七文字構成でやや冗長であるが、その意味するところは「日本で古くから伝わつている」「一宗を統括する寺(に由来する)」というにありそれ自体固有の観念を含まず、また「金剛禅」もこれに続く「少林寺拳法」の流派を示す趣旨の修飾句と解される。したがつて、被告の事業表示の要部は「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」と解すべきである。
そうすると、被告の事業表示の要部は原告の周知表示と同一であり、それゆえ全体としてはこれを類似するものといわなければならない。
なお、原告が指定商品二六類について「金剛禅少林寺拳法」と「不動禅少林寺拳法」の二つの各別の商標権を取得していることが右の判断を左右しないことは2(二)(1)の末段において説示したと同様の理由によつて明らかである。
5 (混同惹起行為と事業上の利益を害される虞れの存否) 前記のとおり原被告の事業表示が類似していること自体一般に両者混同を生ずることのあることを事実上推定するものと考えられる。のみならず、いずれもその様式により真正に成立したと認める甲第三〇号証の一、二、第三一ないし第三五号証、第三六号証の一、二、第三七、第三八号(但し、第三〇号証の一、第三五号証については官署作成部分の成立は当事者間に争いがない)に証人【P15】、同【P21】の各証言および原告代表者本人尋問の結果(第一回)によれば、実際にも【P1】の著わした前掲カツパブツクスを読んで原告に入門し拳法習得を志した者で誤つて被告方に入門した者もあり、ことに大阪地方で青少年の間で両者を混同することが多いことが認められる。
そしてまた、右のような混同の事実が存することはすなわち原告の事業上の信用ひいては利益を害する虞れのあることを示すものということができる。被告は、原告は営利団体ではないから害されるべき利益はないかのように主張するがにわかに左袒することができない。不正競争防止法1条1項柱書所定の「営業上の利益」とは必らずしも具体的な金銭上の利益だけを指すものではなく、ことに本件原告のような事業の場合には被告の混同惹起行為によつて本来獲得すべき門生を失うこと自体事業上の損害と解するに十分である。
二 被告の抗弁1 (慣用表示の抗弁ー不正競争防止法2条1項2号ー) ここに慣用表示とは普通名称ではないが、不特定多数の事業者が自己の事業表示として相応の期間これを使用し、ひいては何人もこれを自由に用いうるような情況になつている当該表示をいうものと解される。ところが、我が国の拳法界において「少林寺拳法」または「少林寺拳法道院」なる事業表示が右の趣旨において慣用されていると認めるに足る確証はない。現在右名称をたとえその一部としてでも事業表示として使用しているものは原告と被告以外にはなく、過去において一時的散発的に二、三の例が存しただけであることはすでに認定したとおりである。被告が指摘する使用例は(事実欄第四の抗弁1一、二参照)、いずれも【P1】または原告自身の使用例か、または事業表示としての使用例ではなく、それも【P1】の周知事業表示とは一部異なるものであるか(「少林拳」「少林寺拳法」等)、あるいは前記散発的な使用例または確証のない使用例を主張しているにすぎないものである。
そうすると、被告の慣用表示の抗弁は失当である。
2 (善意先使用の抗弁ー前示同法条項四号ー)(一) 被告が昭和三九年一〇月頃以降一貫して自己の拳法普及事業を「不動禅少林寺拳法」「日本古伝總本山不動禅少林寺拳法」またはこれらの各末尾に「道院」を付した名称によつて行なつていることは特段証拠を挙げて認定するまでもなく弁論の全趣旨に照らし当事者間に明らかに争いがない(なお、成立に争いない甲第八号証によると、被告は昭和三九年五月四日大阪府立体育会館で開催された第一回武道選手権大会に参加したさいには「不動流少林寺拳法」の名称を使用していることも認められる。)。しかし、右の時点はすでに原告の本件事業表示の周知性が獲得された後であること前示のとおりであるから、このことが格別被告の先使用の抗弁に有利な資料となるものでないことはいうまでもない(もつとも、成立に争いない甲第九〇号証の一、二によると、昭和五三年九月版の電話帳には被告の事業を「少林寺不動拳法道院」として登載されていることが認められるが、成立に争いない乙第四三号証および被告本人尋問の結果(第二回)によると、これは被告の意思によるものではなく旧来の表示(後述)がなんらかの関係でそのまま出されたもので、
現に被告は近時電話帳の広告欄には前記争いのない「少林寺拳法道院」と表示していることが認められる。)。
(二) そこで、以下、専ら原告の表示の周知性確立前における被告の事業表示の使用情況について検討する。
A (被告の事業経歴) 証人【P25】こと【P26】の証言、被告本人尋問の結果(第一、二回)および被告本部現場検証の結果によると次の事実が認められる。
(イ) 被告は大正六年長崎県に生れ、すでに六才の頃長崎県の法城山光宗寺(被告の菩提寺。北高来郡<以下略>在)で不動禅の教義を学ぶとともに同寺に身を寄せていた野僧【P9】老師から易筋行として不動禅少林寺拳法なる拳法の伝授を受けた。【P9】なる人物の身許は詳らかではないが、同人は、「大智禅師が一四世紀頃中国で修得してきた不動禅少林寺拳法なる行があつて、その技は右禅師を始祖として嫡々継承され、その第三一代(野僧としては第一五代)が自分である。」と称していた。被告は昭和九年頃一時上阪していたこともあつたが、引き続き同人に師事し、兵役に服したのち、昭和一五年ようやく不動禅少林寺拳法の印可を授けられ、翌一六年にはその第三二代(野僧としては第一六代)の宗家の嫡々継承を受け、【P5】なる号も受けた。被告は以上のとおり述べている。
(ロ) 被告は第二次大戦時再度兵役に服し最後はインパール作戦に従軍したのち昭和二一年六月長崎に復員し、同年八月には妻の実家のある大阪に来て、現在の肩書地(市営住宅)に居を定め現在に及んでいる。
(ハ) 被告は当初妻の実家の家業(鉄工所)を手伝うかたわら、近所の焼跡空地等で柔術、拳法等を教え、やがて出けい古指南もするようになり、昭和二五年頃には戦前から知つていた柔術家【P12】の経営する南区<以下略>の料理屋の近くでささやかな道場を開いた。さらに昭和二七年頃には前記【P12】が開いた南区<以下略>(高島屋の近隣)の練心館道場(柔道場)を一部使用し、拳法部を設けることを許され、そこで拳法の指南を始め門下生を募集し、数十名を超える者に拳法を教授するようになつた。
(ニ) 被告はその後出げい古なども続けていたが、やがて昭和三三、四年頃肩書地の住居階下を板敷きけい古場に改造し、以後ここを自己の拳法普及事業の本部とし、現在にいたつている。
被告の現在の事業規模は原告のそれの大であるのにくらべるべくもないが、それでも大阪を中心に支部約一四〇を数え、大学の運動部クラブ一一等もあり、昭和三一年頃からはほぼ毎年スポーツニツポン新聞社、大阪府、市教育委員会等の後援をえて演武大会を開催し、過去万国博やテレビに出演したり、自ら乞われて渡米して演武することもあつた(被告は、このように原告に比べて規模が小さいことを、真の禅の道または武道は来る者を拒まず、去る者を追わず、世事に執心しないものであり、被告はこれを実践しているからであり、原告の事業方針は右の道を外れていると述べている。)。
以上の事実が認められる(なお、被告は、右の事実関係に関連して、被告の事業は営利事業でないから不正競争防止法の規制対象とすること自体不当である旨主張しているが、右主張は採用できない。その理由とするところは、原告の事業と同法との関係について説示したと同様である。)。
B (被告に有利な事情) 成立に争いない甲第二六、第六五号証、被告本人尋問の結果(第二回)により全部真正に成立したと認める乙第五一、第五八号証、同尋問の結果により被告主張のとおりのものであると認める(但し、後記認定事実により時期等につき修正限定した部分はその限度において)検乙第一、第二号証、第七ないし第一四号証に前掲(A項)人証および証人【P27】こと【P28】、同【P29】、同【P30】の各証言の各一部を総合すると次の事実が認められる。
(イ) 被告はかつて【P9】から少林寺拳法宗家の嫡々継承を受けたさいその証しとして同人より授けられたと称する如意、達磨像、数珠を現在保有しているが、
右数珠を収めてある桐箱表面には「不動禅少林寺拳・高祖廿九代祖師・云々」と墨書されており、これはその様式体裁からして少くともここ二〇数年の間に書かれたものとは思われないほど古い(検乙第一〇号証、乙第五一号証)。
(ロ) 遅くとも終戦後の頃被告が往時関係した前記光宗寺境内には表に「達磨伝少林寺拳法」、裏に「不動禅満願」と記された木標があつた(検乙第一一号証)。
(ハ) 被告が今次大戦の兵役に服したさい携行していたお守り(被告が【P9】から授かつたというもの)には、その一面に「不動禅少林寺拳・歴代法師経譜・法燈天下無文」と書かれており、他面には「大智祖継禅古」以下一七代から三一代【P9】、三二代【P31】(被告のこと)の名が書かれている(検乙第一四号証、乙第五八号証)。
(ニ) 遅くとも被告が河原町で拳法指南をするようになつた頃以前に使用していた木製看板には「不動禅少林寺拳法」と記されていた(検乙第七号証)。
(ホ) 被告が河原町の錬心館道場で拳法指南を始めた頃同所に掲げていた「柔道、拳法練習生募集」の看板には「少林寺拳法部」の記載がある(検乙第一号証)。
(ヘ) 被告が昭和三一年一一月二四日東区法円坂のニユージヤパンで催した第一回発表会(日本体道連盟大阪本部錬心館道場主催、スポーツニツポン新聞社後援)のパンフレツトや会場入口には「日本伝少林寺拳法」または「日本少林寺拳法」の名を使用した(検乙第一号証、甲第二六、第六五号証)。
(ト) 昭和三六年頃と同三八年頃に被告方前で被告とその三女(昭和二七年生)を写した写真の背景に「不動禅少林寺拳法道院」と記した木製看板がある(検乙第一二、一三号証)。
以上の事実が認められる。
C (被告に不利な事情) ところで、成立に争いない甲第七号証の一ないし四、第九、第二七、第二八号証、第二九号証の一、二、第六六ないし第六九号証、原告主張のような写真であることに争いない検甲第一ないし第三号証によると、昭和三四年以降前記(一)で説示した昭和三九年一〇月頃までの間には次のような事実も認められる。
(イ) 被告は前記のとおり昭和三四年から同三七年まで(第三ないし第六回)の間も毎年スポーツニツポン新聞社等後援のもと東区馬場町のニユージヤパン道場で自己主催の演武大会を行つたのであるが、そのさいパンフレツト等に使用した名称は次のとおりであつた(甲第六六ないし第六九号証)。
<12161-001> また、他流武道合同の大会では次のような名称も使つている。
<12161-002>(ロ) 昭和三八年長崎の光宗寺に被告のために建立された石碑には「古伝日本動禅少林寺不動拳法宗家・【P32】修行之地」と刻されている(検甲第一ないし第三号証。なお、成立に争いない乙第三六号証の二枚目裏下から二行目の記載も参照)。
(ハ) なお、右(イ)の昭和三七年の第六回大会分のパンフレツトには賛助会として「支部道場会」「分院会」「同好会」のほか「少林寺不動拳法研修動院会」というものもある(甲第六九号証)。
以上の事実が認められる。
(三) そして、当裁判所は以上の事実に基き次のように考える。すなわち、
(1) (被告の「少林寺拳法」なる名称使用について)(a) 前記認定事実によると、被告もまた遅くとも原告の表示が周知となる以前である昭和二七年頃から(【P12】の錬心館道場借用時代以降)大阪市内において小なりとはいえいわば町道場のような形で拳法指南を行つていたものであり、そのさい自己の拳法普及事業の表示として冒頭に「不動禅」を付し、または付さないで「少林寺拳法」なる名称を使用していたこと((B)の(ニ)(ホ)(ヘ)の事実参照)および右の使用は原告と無関係に、すなわち、善意になされていたこと((A)の事実および被告本人尋問の結果(第一回)による)が認められる。
なお、前記(B)の(イ)(ロ)(ハ)の事実は、それ自体被告が「事業表示」として「少林寺拳法」なる名称を使用していたことを示すものではないが、被告の善意および前示の「事業表示」としての使用を裏付ける有力な情況たることを失わない事情である。
(b) また、被告が善意先使用の保護を受けるためには、当該旧来表示の使用に継続性があつたことをも証する必要があると解されるところ(不正競争防止法2条1項4号は明文をもつて継続性を要件として定めているわけではないが、後記説示のような右法条の法意からしてそのように解するのが相当である。)、被告本人は終始このことを肯認する供述をしているほか、前記(B)の(ト)の事実も、被告が原告表示の周知性確立以前から昭和三九年一〇月頃までの間「少林寺拳法」なる事業表示を継続使用していたことを裏付ける有力な事実といえる(なお、昭和三九年一〇月以降、正確にいえば同年五月四日以降現在までの使用継続が認めうることは前記(一)のとおり)。
ただし、右の期間については(C)の事実を無視することができない。すなわち、被告は昭和三四年から同三七年までの間毎年秋の演武大会では前示のとおり「不動拳法」または「不動流」なる名称を使用し、「少林寺拳法」なる名称は姿を消した期間があり、昭和三八年長崎光宗寺に建てられた被告修行の記念石碑の刻文でも同様である。また、電話帳にもそのような名称を登載した形跡もある(被告は、右変更名称のうちには被告不知の間に使われた表示または名称もある旨主張し、被告本人も同旨の供述をしているが、変更の動機はともかくとして(後述)、
数年にわたる使用情況からみて、被告がこれらを少くとも容認していたことは否みえないところである。)。
しかし、ひるがえつて右変容した使用態様をみてみると、右名称は、大阪祭参加の他流試合の場合を除き、他はすべて「不動拳法」なる部分を基調または要部としてはいるが、その冒頭には必らず「少林寺」または「少林寺源」なる文字を付していることが明らかである。
そして、被告本人尋問の結果(第一、二回)によると、被告がこのような名称変更を行つたのは自己の発意によるのではなく、【P1】側から「少林寺拳法」なる名称が法律上あたかも【P1】側にのみ独占使用権あるもののように説明され、直ちに名称を変更するよう強い要請を受けたからであり、かつ当時被告にけい古場を貸していた錬心館道場主【P12】も無用のまさつを避けるため被告に変更をすすめたからであつたことが認められる。被告が右変更に不本意であつたことは、一つの例外を除き、その変更名称が旧来の表示である「不動禅少林寺拳法」の修辞部と要部の順序を逆にして「少林寺(源)不動拳法」とし、ともかくも旧来表示の構成文字「不動」「少林寺」「拳法」をそのまま残している点からしても如実に窺えるように思われる。
ところで、不正競争防止法が旧来表示善意先使用者の保護規定を設けたゆえんは、公正取引秩序維持のため周知表示につきその使用者のほとんど独占的な使用を認める反面、他方ではこれと同一または類似の旧来表示善意先使用者については例外的に右独占の外に置き当該旧来表示の使用を認めるのが周知表示独占使用権者との関係上公平であり妥当であると考えたからにほかならない。そして、このような両者の調和を意図した法意によると、本件のような変更の場合、すなわち、一時的に表示変更はあるものの、変更表示内にはとにかくも旧来表示を構成する文字は一回の例外を除きすべて有意的に使用されており、かつ、その変更自体も自らの発意によるものでなく前記のようなやむをえない事情によるものであつたと認められるような場合には、全体としては同一表示の継続使用があるものと解するのが相当である(なお、本件においては、前記(B)の(ト)の事実を重視し、総合判断すると、被告は右の期間一時的に「不動禅少林寺拳法」と「少林寺(源)不動拳法」との二通りの事業表示を使用していたとも考えられる。そうすると、当初からの表示は首尾一貫して継続使用されてきたとみられなくはない点も参照)。
(c) はたしてそうだとすると、「少林寺拳法」なる事業表示については、被告の善意先使用の抗弁は理由がある。すなわち、「少林寺拳法」なる事業表示は、本来不正競争防止法1条1項2号に基き原告の周知表示として原告の排他的独占使用が認められるものではあるが、ただ被告に限り、上来説示の理由により、その使用は適法としてこれを認めるべきである。
(2) (被告の「道院」なる名称使用について) これに対し、被告が「道院」なる名称を原告表示の周知性確立時期以前に事業表示の一部として使用していたと認めるに足る確証はない。本件においてこれを認めるに足る客観的資料は昭和三六年の段階のものがはじめてである(前記(B)の(ト)の事実参照)。被告本人の供述中にはこれより古くから使用していたように述べている部分もあるが、他の部分では「支部が出来た昭和三二、三年頃から使用しはじめた。」と述べており、前記供述部分は措信できない。
そうすると、「道院」なる事業表示(部分)については被告の善意先使用の抗弁は失当である。
3 (クリーンハンド等の抗弁) 被告は自己の拳法こそ正統の少林寺の拳法であり、武術としても優れており、強く、原告のそれは【P1】が各種の拳法や柔術を寄せ集めて勝手につくつたものにすぎず、その事業表示は偽瞞である旨るる主張しているが、本件では中国の嵩山少林寺に興つたという拳法の内容が如何なるものであつたかを示す客観的な資料もないから原告の表示を詐称であると即断することはできない。また、被告の拳法の正統性に関する主張にしても、そのような三二代にわたる嫡々継承があつて、被告に及んでいることを認めるに足る客観的な信頼できる史料が存するわけでもなく、被告およびその門下生らがそれを信ずることはもとより自由であるが、裁判所がこれを認定事実として採用することはとうていできない。また、もともと不正競争防止法上事業表示が問題になる場合には原則として被告がいうような武技内容の優劣強弱はおよそその判断上しんしやくすべき事柄ではない。ことに、本抗弁で問題とすべき「道院」なる表示については以上のような事情との関連性は極めてうすい。
被告はまた原告が被告に対し数々の事業妨害を行なつたことや原告の門下生の不法行為、刑事事件惹起行為を指摘しており、右の事実中には被告の提出援用する証拠によつて裏付けられるものも存する。しかし、このようなこともまた本件につき不正競争防止法の適用の存否を考えることとは無関係であるというべきである。
以上いずれにしても原告の「道院」なる名称使用差止請求について被告の主張するような一般条項的抗弁を容れる余地はない。
三 結論 そうすると、原告の不正競争防止法に基く差止請求は「道院」なる表示(部分)については理由があるが(本件においては、特にこのような表示の一部についても独立した表示と同じように扱うのが相当である。前記一2(二)(2)「道院」という名称についての項の説示参照)、「少林寺拳法」なる表示については失当である。
氏名権に基く差止請求について
かりに原告が主張するような、いわゆる氏名権に基く差止請求を一定の要件の下で容認すべきものとしても、上来説示の本件事実関係によれば、被告もまた「少林寺拳法」なる表示についていうところの氏名権を有するものと解すべきである。そうすると、被告の「少林寺拳法」なる表示の使用は適法であり、なんら原告の氏名権を侵害したものとはいえない。そして、本件弁論の全趣旨によると、被告は本訴において右のような趣旨の主張もしていると解される。
原告の氏名権に基く差止をいう予備的請求も失当である。
結論
以上のとおりであるから、原告の本訴請求中、「道院」なる表示(部分)の使用差止を求める部分はこれを認容し、その余はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法92条を適用して主文のとおり判決する。
裁判官 畑郁夫
裁判官 上野茂
裁判官 中田忠男
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