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事件 平成 28年 (ワ) 803号 損害賠償請求事件

原告株式会社成学社
同訴訟代理人弁護士 「薫
同 金愛子
同 金慶幸
被告P1
同 P2
同 P3
同 P4
上記4名訴訟代理人弁護士 山本佳世子
同 伊藤彌
裁判所 大阪地方裁判所
判決言渡日 2016/11/01
権利種別 不正競争
訴訟類型 民事訴訟
主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
請求
被告らは,原告に対し,連帯して2820万5331円を支払え。
事案の概要
本件は,学習塾を経営する原告が,かつて原告に在職し,現在,原告の経営する学習塾から直線距離で2.18km の場所に開設された学習塾で稼働している被告らに対し,同被告らの同学習塾開設に向けての原告在職中の行為を問題として,請求原因として,主位的に雇用契約上の付随義務違反,第1次予備的に就業規則に定められた競業避止義務違反,第2次予備的に顧客情報を不正利用した不正競争行為(不正競争防止法2条1項7号) 第3次予備的に不法行為, , 第4次予備的に誓約書に基づく合意違反を主張して,被告らに対し,債務不履行(主位的,第1次予備的,第4次予備的請求)又は不法行為(第2次予備的,第3次予備的請求)に基づく損害賠償請求として,2820万5331円(逸失利益としての損害2570万5331円,弁護士費用相当額250万円の合計額)の連帯支払を求めた事案である。
1 前提事実(当事者間に争いがないか後掲の各証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実) (1) 当事者 ア 原告は,大阪府を中心とした近畿圏及び首都圏に221教室を展開する学習塾(うち,R1教室を「本教室」という。)を運営する株式会社である。
イ 被告らは,Q1が運営するQ2という名称の学習塾において稼働している者であるが,原告在職時の各被告の職歴等は以下のとおりである。
(ア) 被告P1は,平成3年7月1日,非常勤講師Tとして原告に入社し,平成8年に社員として登用され,平成17年から平成26年8月に退職の申出をするまでの約10年間,原告の本部における運営課長の地位にあり,運営課長の業務を行いつつ,講師業務を行っていた者である。その後,平成26年12月1日から非常勤講師Tとなり,従前どおり,本教室の塾生に英語を教えていたが,平成27年2月28日,原告を退職した。(甲2,甲4) (イ) 被告P2は,平成20年3月1日に原告に社員として入社し,平成26年8月までの間,講師業務を行っていた者である。その後,平成26年12月23日か ら,非常勤講師Tとなり,平成27年2月28日,原告を退職した。(甲5) (ウ) 被告P3は,平成12年3月1日に原告に社員として入社し,平成19年から平成26年8月に退職の申出をするまでの約7年間,原告の本部の高校受験課の英語科の最高責任者たる教科リーダーであった者である。その後,平成26年10月1日から,非常勤講師Tとなり,平成27年2月28日,原告を退職した。なお,被告P3は,本教室で講師業務を行ったことはない。(甲7,甲8) (エ) 被告P4は,平成20年3月1日に非常勤講師Tとして原告に入社し,本教室において講師業務を行っていたが,平成27年2月28日,原告を退職した者である。(甲9) (オ) Q1は,被告らが,平成26年12月1日,Q2の運営を行う会社として設立した株式会社であり,被告P1,被告P2及び被告P4が取締役を務め,うち被告P1が代表取締役を務めている。
(2) Q2の開設 ア 被告らは,平成26年11月10日,本教室から直線距離で2.18km の位置にQ2の教室用物件を賃借し,平成27年1月には備品を買い揃えた。
イ 平成26年11月6日,被告らは,Q2の開設のためにロゴデザインを募集し,同月16日,「Q3」のロゴ(以下「本件ロゴ」ということがある。)を採用した。
ウ 被告らは,平成26年11月13日にQ1の原始定款を作成し,同年12月1日にQ2の運営会社であるQ1を設立した。なお,被告P1はQ1の株式を70株,被告P2は50株保有し,いずれも設立時取締役となった。(甲38) エ 被告らは,平成27年1月9日,被告らの顔写真が掲載されているQ2のホームページを開設した。
オ 被告らは,同年1月7日及び8日,本教室から半径2q以内のR2,R3,R4,R5,R6などの地域(以下「本件地域」という。)に,被告らの顔写真入りのリビング新聞の折り込みチラシ(甲18,以下「本件チラシ@」という。)を配布する等,Q2の広告宣伝行為を行った。
カ 被告らは,同月27日から同年2月28日にかけて,通塾希望の生徒らを対象に体験授業をQ2において行った。
キ 被告らは,同年2月28日,被告らの顔写真入りのQ2のチラシ(甲23,以下「本件チラシA」といい,本件チラシ@と併せて「本件チラシ」ということがある。)をリビングの折り込みチラシとして配布した。
ク 被告らは,Q1が運営するQ2において,現在,講師を務めているが,Q2開設当初の塾生には,被告らが原告在職中,本教室に通塾していた者も含まれている。
(3) 原告における雇用形態 原告においては,雇用形態として,社員,嘱託社員,非常勤講師T,契約社員Uの4種類があり,うち社員,非常勤講師Tの業務内容等は以下のとおりである。
ア 社員 社員は,@小中高生に対し,各科目の授業を行う業務(以下「講師業務」という。)の他,A塾生の進路相談や保護者・塾生との面談等の業務(以下「面談業務」という。 ,B各科目の教材を作成する業務(以下「教材作成業務」という。 ,C生徒の ) )成績や学費請求に関する情報の管理業務(以下「情報管理業務」という。 ,D各家 )庭への配布物の作成等の事務業務(以下「事務業務」という。)を行い,定年年齢は満60歳である。
給与は月給制で,業務内容等に応じ,基本給・各種手当が支給される。
イ 非常勤講師T 非常勤講師Tは,アルバイトとして,講師業務のみを行い,上記ア社員の業務のうちA〜Dの業務は担当しない。給与は時給制である。
非常勤講師Tは,各クラスの通年授業を担当し,学年終了時まで指導する必要があることから,最低1年間の継続勤務と毎年3月末までの勤務が採用条件とされている。(甲10,甲35) (4) 就業規則 原告の社員及び非常勤講師I用の就業規則には,次のような規定がある。
ア 社員(甲30) 第67条 社員は,業務の特性上,在職中,他塾(同業他社)に従事してはならない。
第68条 社員は,退職後2年間は,会社に不利益をもたらす以下の活動もしくはそれに準ずる活動を行ってはならない。これに反する場合は,相応の損害賠償請求ほか法的措置をとるものとする。
@ 会社で指導を担当していた教室から半径2km 以内に自塾を開設すること A 会社塾生名簿他第76条に定める業務秘密等を利用して,会社の塾生に対し,他塾もしくは自塾への勧誘を行ったり引き抜いたりすること B 会社の社員等に退職を促す活動を行うこと C 指導,教材および教室運営のノウハウを流用すること イ 非常勤講師T(甲10) 第52条 兼業の禁止 非常勤講師Iは業務の特性上,会社在職中,担当教室から半径2km 以内に所在する他塾(同業社)で生徒指導にあたってはならない。
第53条 競業避止義務 非常勤講師Iは退職後2年間は,会社に不利益をもたらす以下の活動,もしくはそれに準ずる活動を行ってはならない。これに反する場合は,相応の損害賠償請求ほか法的措置をとるものとする。
@ 会社で指導を担当していた教室から半径2km 以内に自塾を開設すること A 会社の塾生名簿ほか第61条に定める業務機密等を利用して会社の塾生に対し,他塾もしくは自塾への勧誘を行ったり引き抜いたりすること B 塾生および保護者に会社の信用と名誉を損なうような言動を行うこと C 会社の従業員に退職を促す活動を行うこと D 指導,教材,教室運営のノウハウを流用すること (5) 誓約書の作成 被告P1及び被告P3は平成27年1月11日,被告P2は同月20日,被告P4は同月23日,それぞれ原告作成に係る文案に署名押印することにより誓約書(以下「本件誓約書」という。)を作成し,これを原告に差し入れた。同誓約書には,下記のような記載がある。(甲43ないし甲46) 記 私は,平成27年2月28日付にて株式会社成学社(以下, 「当社」という)を退職し,R7に「学習塾Q2」を開校するにあたり,下記の事項を遵守することを誓約致します。
第4条(在職期間中における自塾営業活動の禁止) 私は,当社の退職日までの期間,私が担当する当社での授業ほか面談・電話・メール・SNS等を通じて,塾生ならびにその保護者に対し,私ほか当社の元職員が共同してR7に設置することになった「学習塾Q2」の宣伝・告知活動ほか,質問照会に対する回答等,当社の利益と信頼性を損なう不正な行為をしないことを誓います。
第9条(損害賠償) 私は,第1条から第8条に違反した場合,それにより当社が被った一切の損害を賠償することを誓約致します。
2 争点及び当事者の主張 (1) 雇用契約上の付随義務違反の成否(主位的請求原因) (原告の主張) ア 被告らは,原告を退職する平成27年2月28日まで,原告に対し,雇用契約上,原告の正当な利益を侵害しないよう,原告と競合する事業の開業やその準備 行為を行ってはならないという付随義務を負っていた。
イ それにもかかわらず,被告らは,原告に在籍中,上記1(2)アないしキの行為を行った。
これらの行為は全て,原告と競合する学習塾であるQ2の「開業」及び「開業準備行為」そのものに当たるから,被告らの行為は,雇用契約上の付随義務違反に当たり,債務不履行を構成する。
ウ なお原告は,講師業務及び面談業務を通して,保護者や塾生との信頼関係を確固たるものにする社員に対し,就業規則により,兼業禁止義務を課しているところ,同義務は雇用契約上の付随義務を確認したものであるが,被告P1,被告P2及び被告P3は,後記のとおり,実質的な社員として兼業禁止義務を課せられていたから,上記イの各行為が雇用契約上の付随義務に違反することは明らかである。
エ 被告P1,被告P2及び被告P3が形式的に非常勤講師Tに雇用形態を変更した後も実質的に社員であることは次のとおりである。
すなわち,被告P1,被告P2及び被告P3は,平成26年10月又は12月に,社員から非常勤講師Iへと雇用形態を変更したものであるが,@原告では,退職に際する雇用形態の変更が極めて異例であること,A少なくとも,被告P1及び被告P2は,講師業務の他に面談業務等,社員が行う業務も行っていたこと,B被告P1,被告P2及び被告P3は,非常勤講師の採用条件(最低1年間の継続勤務かつ3月末日までの勤務)を備えていないことを考慮すると,上記被告らは,平成26年10月又は12月に,単に勤務時間・給与計算方法について労働条件を変更したにすぎず,平成27年2月28日に退職するまで,社員の地位を実質的に有していたというべきであるから,社員の就業規則(甲30)が適用されるべきである。
また,被告P1は,退職する約2か月前(非常勤講師Tの雇用契約書を交わした後の期間も含む)まで,本教室の塾生及び保護者と三者面談を行い,退職時まで講師業務を行っており,被告P2も,退職する約1,2か月前まで,本教室の塾生及び保護者と三者面談を行い,退職時まで講師業務を行っていた。このように,被告 P1及び被告P2は,平成27年2月28日に退職するまで,原告と,本教室の塾生及び保護者との間の信頼関係を奪取できる状態だったのであるから,上記兼業禁止義務の趣旨からみても,本件においては,非常勤講師Tとしての雇用契約書上,兼業禁止義務を解除するとの記載がない以上,退職日まで社員と同様の兼業禁止義務を負うものと解釈するのが,当事者の合理的意思に合致する。
なお,少なくとも上記1(2)アないしウのQ1の設立準備行為は,被告P1及び被告P2が形式的にも社員である時期に行われている。
(被告らの主張) ア いかなる競業行為も直ちに雇用契約上の付随義務違反になるわけではなく,就業規則等における競業行為禁止規定の有無,行為の態様や与えた損害の程度などから,社会通念上自由競争の範囲を逸脱するものであるかどうか,具体的事情を踏まえて判断すべきである。
イ 被告らは,平成26年12月以降,非常勤講師Tの地位にあった者であり,就業規則における在職中の兼業規定は第52条のみである。
すなわち,同条によれば,非常勤講師Tが兼業を禁止されるのは,担当教室から2q以内に所在する他塾で生徒指導を行う場合に限られており ,それ以外,距離制限さえ遵守すれば,他の学習塾で雇われることも,他の学習塾を経営することも何ら禁止されていない。半径2q外での他塾経営が禁止されていない以上 ,半径2km 外での学習塾開設の開業準備行為が禁止されるいわれはない。
社員から非常勤講師Iに雇用形態が変更されたことに伴い,被告らの給与体系は変更となり,基本給が廃止され,社会保険の加入資格を失うなど,待遇面が大きく後退したものである。
それにもかかわらず,被告ら が退職まで社員と同様の義務を負うとする原告の主張は,労働契約の恣意的な解釈であり,許されない。
なお,面談業務は,原告から命じられて行っていたものにすぎず,それを理由に前記のような労働契約の恣意的な解釈をすることは許されない。
ウ Q2の教室は,本教室から半径2q外の位置にある。
そして,原告指摘に係る被告らの開業準備行為は ,すべて本教室外,勤務時間外に行われており,開業準備行為は原告での業務に影響を与えたことはなかった。
宣伝広告活動に関しては,本教室の塾生を狙い撃ちしたものではなく,広く不特定多数に対して行われたものであるし, そもそも広告宣伝活動については,就業規則には何らの定めもなく,原告は,学習塾開設の場所以上に,広告宣伝活動の範囲を制限することはできないから,これが付随義務違反に当たることはない。
(2) 被告らの競業避止義務違反の成否(第1次予備的請求原因)(原告の主張) ア 非常勤講師Iの就業規則第53条には, 「非常勤講師Tは退職後2年間は,会社に不利益をもたらす以下の活動,もしくはそれに準ずる活動を行ってはならない。 ・ ・ @会社で指導を担当していた教室から半径2q以内に自塾を開設すること。
・A会社の塾生名簿ほか第61条に定める業務機密等を利用して会社の塾生に対し,他塾もしくは自塾への勧誘を行ったり引き抜いたりすること」と定められている。
また,原告の非常勤講師Tの就業規則第59条は, この規則において 「 『業務機密』とは,塾生名簿,住所録,電話番号,家族構成,成績データ等会社が保有,管理する技術上または業務上の情報であって, 『業務機密資料』とは,業務機密に関する教材,塾生名簿,生徒報告書,成績記録カード,写真,磁気テープ,フロッピーディスク,サンプルおよび製作中の教材等製品,これに類する装置,設備その他これに関する一切の資料ならびにその複写物および複製物(以下,前記業務機密および業務機密資料を総称して『業務機密等』という。)をいう。」と定めている。(甲10) イ Q2は,本教室から半径2.18qの位置に存在しており,競業禁止範囲との差は,僅か180mであり,被告らが,前記@の競業避止義務(以下「競業避止義務@」ということがある。)違反行為に準ずる行為に至っていることは明らかである。
また,被告らは,本教室に通う塾生を引き抜くことを意図して,業務秘密たる塾 生の住所を利用して, 「会社に不利益をもたらす」ことを知りながら,塾生らが通塾しやすい場所にQ2を開設し,塾生らが多く居住する地域でチラシを配布し,本教室から塾生が転塾するよう勧誘・引き抜き行為を行っており,被告らが,前記Aの競業避止義務(以下「競業避止義務A」ということがある。)違反行為を行っているのは明らかである。
(被告らの主張) ア Q2の教室は,本教室から半径2q外にあり,就業規則に何ら違反しない。
原告自らが明確に半径2qという距離制限を設けた以上 ,一方的な拡大解釈で制限地域を広げることはできない。
イ 被告らは,原告保有の業務秘密を利用した広告宣伝活動は行っていない。
そもそも,被告らは,塾生の住所などの顧客情報にはアクセスしていないし ,転塾してきた塾生以外の本教室の塾生の住所は今もって知らない。
被告らがQ2の場所を決めた主な理由は,交通の利便性に加え, S1,S2,S3の3市が接する地点にあり,市をまたいで複数の学区 から塾生の通塾が見込めることからである。本教室と商圏が一部重なることはあっても,本教室の塾生を奪取する目的で場所を決めたのではないし, 本教室の塾生居住地とは直接関係がない。
被告らが業務秘密を利用して本教室の塾生にダイレクトメールを送付したり ,勧誘の電話を行ったりしたならともかく,被告らの広告宣伝活動は,Q2の教室の場所及び講義内容から,入塾が見込めると合理的に推測された地域において ,不特定多数の者に対して同時になされたものである。
したがって,被告らの行為は,業務秘密を利用した不当な勧誘・引抜行為には当たらず,非常勤講師T就業規則第53条に違反しない。
(3) 被告らの不正競争防止法違反行為の成否(第2次予備的請求原因) (原告の主張) ア 営業秘密性 原告は,各教室の生徒管理情報(生徒氏名,学校名,学年,所属クラブ,電話番号,保護者氏名,住所など),各生徒の学費情報,延滞情報,各生徒の成績管理情報(学校通知表,学校テスト結果,原告における公開テスト結果,受験校名,受験科目など)などの顧客情報を有している。
その中でも,本教室に通塾する生徒の氏名,住所は,生徒管理情報の最も重要な情報の一つで,有用な情報であり,営業秘密に当たる。
原告は,これら情報を管理するための基幹ソフト「KONPAS」を導入し,情報管理部門の部室長の承認なく使用することができないようアクセス制限をかけ,不正アクセス,漏えいをした者は懲戒処分とすることを規定するなど,秘密管理をしている。
原告は,その営業秘密たる生徒の氏名や住所等をどこにも公開していないことから,非公知の情報であることは当然である。
イ 被告らによる営業秘密の使用 被告らは,営業秘密である本教室の生徒の氏名,住所を使用して,本教室の生徒が通塾しやすいよう,あえて本教室から直線2.18qの地点にQ2を開設した。
そして,被告らの顔写真・氏名を記載した本件チラシを作成し,本教室に通う生徒を引き抜くことを意図して,本件地域(本教室の生徒の約2割が居住する。)に本件チラシを配布した。
被告らは, 「営業秘密」である生徒の住所及び氏名について,それを「保有する事業者」である原告から,原告における業務の範囲内で「示され」ていたにすぎないが,被告らは,生徒を引き抜いて授業料を得るという「不正の競業その他不正の利益を得る目的」のため,「営業秘密」である生徒情報を「使用」した。
ウ 以上によれば,被告らのQ2開設行為及び本件チラシ配布行為は,不正競争防止法2条1項7号に該当する。
(被告らの主張) 原告の顧客情報の有用性,秘密管理性,非公知性については認める。
ただし,小中学生については,詳細な住所が分からなくても,通学している学校名からおのずから学区と概ねの居住地が分かる。そして,どの塾生がどの学校に通学し,どの学区に居住区があるかは,講師においても塾生の間においても公知の事実であり,秘密情報ではなかった。
被告らは原告の営業秘密にはアクセスしていないし,使用もしていない。
Q2の教室の場所及び講義内容から ,入塾が見込めると合理的に推測できる地域において,不特定多数の家庭に対して広告宣伝行為を行っただけである。
したがって,被告らに不正競争防止法2条1項7号に該当する行為はない。
(4) 被告らの不法行為(第3次予備的請求原因) (原告の主張) ア 被告らは,非常勤講師Tの就業規則上,競業避止義務を負っていることや,その趣旨を把握していたにもかかわらず,@本教室から半径2.18qの地点をQ2の場所として選択し,A本件チラシを本件地域において配布し,B体験授業を実施した。これらの行為が債務不履行に該当しなくとも,かかる行為に及べば,原告の営業上の利益侵害されるのは当然予見できることであって,被告らに故意又は過失があったことはいうまでもない。そして,上記@ないしBの行為は,後述するように,社会的相当性を逸脱した行為であって,不法行為を構成する。
イ 被告らは,被告らの顔写真を掲載したホームページや本件チラシを使用してQ2の宣伝行為を行い,被告ら4名はそれぞれ講師としてQ2の業務を行っていることから,その共同性は明白である。
ウ 被告らは,競業避止義務の趣旨を熟知していたからこそ,共謀の上,半径2.18qの地点という,わずか180mだけ,競業禁止範囲を超える位置をQ2の場所として選んだ。
そして,@本件地域は本教室の営業範囲内であること,A本件地域には,本教室の生徒が多く居住していたこと,B被告らは原告に在籍中,いわゆる幹部として重要な地位におり,とりわけ被告P2は,本教室の生徒・保護者に対し,大きな影響 力をもっていたこと,Cチラシに講師の写真・氏名を記載することは,極めて異例であること,D学習塾業界の特質上,毎年1月から2月にかけて生徒を獲得する必要があること,を考慮すると,本件チラシ配布行為は,本教室の生徒を引き抜くことを意図していたことを強く推認させる。
このような行為は,原告が資本投下をして構築し獲得した生徒との信頼関係等にただ乗りする行為であり,社会的相当性を逸脱し,自由競争の範囲外といえ,不法行為を構成する。
(被告らの主張) 原告の主張は争う。
(5) 本件誓約書に基づく合意違反(第4次予備的請求原因) (原告の主張) ア 被告P1は平成27年1月11日,被告P2は平成27年1月20日,被告P3は平成27年1月11日,被告P4は平成27年1月23日に,本件誓約書を作成し,原告に提出した。これにより,被告らは,原告在職中,開業準備行為を含む宣伝広告活動をしないことを合意した。
したがって,被告らによる開業準備行為は,本件誓約書に基づく合意違反であり,債務不履行に当たる。
イ 平成27年1月9日,本件チラシ@がきっかけとなり,被告らによるQ2開設が原告に発覚した。
原告代表者は緊急に被告らと面談し,事情を聴取した上で,被告らに対し,原告在籍中は,開業準備行為を含む競業行為をしてはならないこと,退職後の競業避止義務を確認し,これらに違反した場合には損害賠償請求をするということの誓約を求めた。
原告は,本件誓約書において,具体的な手段を例示して原告在職期間中の被告らの広告宣伝行為そのものを禁止したものであって,ここに記載されている以外の勧誘方法を許容したものではない。
また,本件誓約書は,被告らとの間で,被告らが負う就業規則や雇用契約上の付随義務の内容を確認するために,より具体的な義務内容を示した誓約書を求めたのであって,誓約書を提出する前に被告らが行った競業行為等を許容する趣旨でもないし,就業規則上の兼業禁止義務を軽減したものでもない。
したがって,被告らによる開業準備行為は,本件誓約書に基づく合意に違反するものである。
(被告らの主張) 被告らは,本件誓約書において禁止された行為は一切行っていないから,本件誓約書に基づく合意違反はしていない。
原告において,Q2の開設や本件チラシ@の配布等の開業準備行為が就業規則又は雇用契約上の付随義務違反に該当するという認識があったのであれば,原告は,誓約書の提出ではなく,その時点で,就業規則または雇用契約上の付随義務違反等を理由に学習塾の開設中止を求め,懲戒等の処分を行ったはずである。
しかしながら,原告はそうせず,被告らのQ2開設が就業規則違反や雇用契約上の義務違反に当たらないことを前提として,広告宣伝活動の具体的方法に制限をかけるだけの内容である本件誓約書を提出させた。しかも,原告は,本件チラシ@の存在を認識したうえで,あえて禁止する営業活動の種類を「担当する当社での授業ほか面談・電話・メール・SNS等」と限定したのである。
したがって,原告は,少なくとも,本件誓約書提出の時点で,Q2の開設と,リビングチラシやホームページ等の一般的広告手段については認めていたといわざるを得ない。
(6) 原告の損害額 (原告の主張) 被告らの行為により原告が受けた損害の額は,合計2820万5331円である。
逸失利益 被告らの行為によって,本教室に通っていた生徒308名のうち,43名が退塾 した。これにより,原告は,退塾した43名が高校2年生の2月まで在籍した場合に得られるはずであった授業料等の売上相当額につき損害を被った。
その総額は,通年授業の損害額及び特別授業の損害額の合計額である2570万5331円である。
(計算式) 1722万6466円(通年授業の損害)+847万8865円(特別授業の損害額)=2570万5331円 イ 弁護士費用 本件訴訟を提起,追行するために必要となる弁護士費用は,250万円を下らない。
(被告らの主張) 原告の主張は争う。
被告らの行為と原告の塾生の退塾との間に因果関係はない。
退塾者43名のうち,Q2に入塾したことが確認できるのは,29名のみであり,そのうち1名は原告の本教室に戻った。
いずれの転塾も,本件チラシ@が配布された平成27年1月以降になされていることから,被告らが,本教室の塾生に対する直接的な勧誘活動をしていないことは明らかであり,本件チラシ@を見た保護者ないし塾生が,場所や費用,カリキュラム等の諸条件を比較検討して,自らの判断でQ2を選択したにすぎない。
当裁判所の判断
1 争点(1) (雇用契約上の付随義務違反の成否(主位的請求原因))について (1) 原告は,上記第2の1(2)アないしキのQ2の開設準備行為が原告と被告らの雇用契約上の付随義務違反として債務不履行を構成するように主張する。
原告の主張する付随義務は,被用者としての在職中の兼業禁止にかかわるものであるが,被告P3及び被告P4は,上記全期間中,被告P1及び被告P2は,同エ以降の期間中,非常勤講師Tの地位にあったものであり,兼業の規制としては,就 業規則第52条の適用が問題となる。
しかし,社員についての兼業禁止の規定である就業規則第67条には距離制限がないのに,非常勤講師Tの就業規則第52条に,対象範囲が「担当教室から半径2km 以内に所在する他塾(同業社)」と限定されていることからすると,非常勤講師Iは,原告在職中,原告の教室から2km より離れた場所に所在する学習塾であれば,それが原告と競合する学習塾であったとしても,兼業して学習塾を経営することさえも許容されているものと解されるから,Q2が上記兼業禁止の対象となる距離制限外の学習塾であり,しかも被告らのした行為が兼業に至らない学習塾の開設準備行為にとどまることからすると,これについて就業規則第52条の適用が問題にされる余地はない。
しかるに原告は,これをもって,これを雇用契約上の付随義務違反となる旨主張しているが,その主張は,実質的には,就業規則上問題にされていない行為が規制対象となるよう,就業規則を一方的に被用者に不利益に拡大解釈することと実質的に同じものと解されるから許されるところではなく,したがって,原告主張に係る付随義務違反を理由とする債務不履行の主張は失当というべきである。
(2) なお,被告P1及び被告P2については,上記第2の1(2)アないしウの当時,社員の地位を有していたことから,社員の就業規則第67条,すなわち距離の制限規定のない兼業禁止規定の適用が問題となるが,被告P1及び被告P2が上記期間中にした行為は,将来開設しようとする学習塾のロゴの募集と,教室の賃借,備品準備及びその学習塾を運営する会社設立という全くの準備行為だけであって,およそ就業規則第67条の「他塾に従事」という行為には当たらないから,同条違反を問題とする余地はない。
以上のとおり,被告P1及び被告P2が社員の地位にあった時期の行為も含め,被告らによる雇用契約の付随義務違反を理由とする債務不履行の主張はすべて失当というほかない。
(3) また,被告P1,被告P2及び被告P3は,原告退職時には非常勤講師Tの 身分となっていたものであるのに,原告は,かつて社員であったこれらの被告らは,退職時まで社員としての就業規則に基づく義務を負うべきもののように主張しているが,以下のとおり,その主張は明らかに失当である。
証拠(甲10,甲30,乙13ないし16)及び弁論の全趣旨によれば,原告においては,社員と非常勤講師Tとでは,非常勤講師Tには基本給がないなど給与体系が異なり,また非常勤講師Tは従業員としての健康保険の加入資格もないなど,社員に比して待遇面で劣後する一方で,兼業に関して課せられる制約は,非常勤講師Tの方が社員に比して緩やかなものとなっていることが認められる。そうすると,被告P1,被告P2及び被告P3は,社員から非常勤講師Tに雇用契約を変更したことに伴い,給与等の待遇も,非常勤講師Tとしての待遇に切り替えられたものと認められるのに,兼業禁止など,その課せられる制約だけが社員と同じままというのは明らかに不合理である。本来予定された地位に伴う待遇と制約の関係が上記のとおりである以上,非常勤講師Tとなったのであれば,当然,社員に比して緩やかな非常勤講師Tとして制約が課せられるにとどまると解すべきである。
原告の主張は,非常勤講師Tの待遇しか与えないのに,制約面すなわち,被用者として負うべき義務にかかわる面についてのみ,社員としての地位を前提により厳格な義務を課すようにいうものであって,明らかに失当といわなければならない(このことは,上記被告らが非常勤講師Tとしての雇用形態に変更するよう求めるに当たり,いかなる説明を原告にしたかという事実は影響しない。 。
) さらに原告は,被告P1及び被告P2が,社員と同様の生徒及び保護者との三者面談を担当していたことを指摘するが,これも使用者たる原告が,被用者に対して非常勤講師Tの待遇しか与えないにもかかわらず,社員としての業務をさせていただけという問題であって,このことが前記判断を左右することはない。
2 争点(2)(被告らの競業避止義務違反の成否(第1次予備的請求原因))について (1) 被告P1,被告P2及び被告P3は社員から非常勤講師Iの地位に雇用形態 の変更がなされ,そのまま退職したものであり,被告P4は終始非常勤講師Iの地位にあったものであるから,被告らの退職後の競業避止義務違反については,非常勤講師Iの就業規則第53条が問題となる。
(2) 就業規則第53条@の競業避止義務について,Q2は,原告の本教室から直線距離で2.18km の場所に開設されたものであるところ,原告は,これは非常勤講師Iの就業規則第53条@によって制限された活動に「準ずる行為」であり,同条違反の債務不履行を構成するように主張する。
確かに,就業規則第53条は,@,Aにより,その制限する活動を明記した上で,さらに「それに準ずる活動」をも制限する規定振りとなっているため,数値で特定した距離についても解釈の余地があるように見える。
しかし,そもそも同条にかかる退職後の競業制限は,公序である労働者の退職後の職業選択の自由を制限することにかかわる規定であるから,もともと要件の有効性さえ問題とされるのであり,少なくとも,それ自体,一義的に明確である距離制限を, 準ずる」 「 との用語の解釈によって拡大する余地は全くないというべきである。
したがって,上記距離制限を使用者に有利に拡大しようとする原告の上記解釈は採用できず,そうであれば,この距離制限外にあるQ2の開設が就業規則第53条@の競業避止義務に違反するとの主張は失当というべきである。
(3) 就業規則第53条Aの競業避止義務について 原告は,被告らが原告の企業機密等を用いてチラシを配布し,本教室の塾生の勧誘,引き抜きをしたように主張するが,本件において,被告らが原告の業務機密等にアクセスした事実を認めるに足りる証拠はない。
原告は,被告らがチラシを配布した地域に,原告の本教室の塾生らの居住地域が含まれていたことから,被告らが,原告の生徒の住所情報等の業務機密を使用したことが明らかであると主張するが,本教室とQ2の直線距離が2.18qであることからすると,Q2の塾生募集のためのチラシ配布地域を決定した場合に本教室の塾生の居住地域を含んでも当然であり,そのことで被告らが,原告の生徒の住所情 報等を使用したことが推認されるわけではない。
そのほか,被告らに競業避止義務Aの違反行為があった事実を認めるに足りる証拠はない。
3 争点(3)(被告らの不正競争防止法違反行為の成否(第2次的予備的請求原因))について 原告は,被告らが原告の営業秘密,すなわち,本教室の塾生の氏名及び住所の顧客情報にアクセスし,これを使用したことが不正競争防止法2条1項7号の不正競争を構成するように主張するが,被告らが,上記顧客情報を使用したことを認めるに足りる証拠はない。
原告は,Q2の開設場所から,被告らが原告の顧客情報である塾生の氏名及び住所の情報にアクセスし,これを使用したことが推認されるように主張するが,そもそも本教室に通塾していたのは小中高生というのであり,その生徒らが,本教室の通塾可能範囲に居住していることは容易に想像できることであるし,塾講師としての日常業務の塾生との会話の中から,塾生の通学する学校や,その居住する地域の情報は十分得られたはずのものである。
そして,そうであれば,被告らがQ2の開設場所を選定するに当たり,本教室の塾生の居住場所を参考にする場合であっても,それは上記程度のおおまかな居住地域さえ知れば足りたはずのことであって,そのことから,被告らが原告の顧客情報である生徒の氏名及び住所にアクセスし,これを使用したと推認できないことは,むしろ明らかである。
したがって,本件においては,被告らによる原告の営業秘密の「使用」の事実が認められないことから,原告主張に係る被告らの不正競争行為は認めることはできない。
4 争点(4)(被告らの不法行為(第3次予備的請求原因))について 原告は,@本教室から半径2.18qの地点をQ2の場所として選択し,A本件チラシを本件地域において配布し,B体験授業を実施した行為は,社会的相当性を 逸脱した行為であって不法行為を構成する旨主張する。
しかし,上記各行為は,結局,債務不履行として論じるべき競業避止義務違反をいっているにすぎないところ,これが債務不履行を構成しないことは,上記2で認定説示したところから明らかであるから,これにQ1が配布したチラシの掲載内容等の原告主張に係る諸事実を斟酌し,それらの行為を一体としてみたところで,これが自由競争として許される社会的相当性を逸脱したものとの評価は当たらない。
したがって,被告らの行為が不法行為を構成するようにいう原告の主張には理由がない。
5 争点(5)(本件誓約書に基づく合意違反(第4次予備的請求原因))について (1) 原告は,被告らが,平成27年1月11日以降,本件誓約書を作成し,原告に提出したことにより,被告らは,原告在職中,開業準備行為を含む宣伝広告活動をしないことを合意したことを前提に,被告らによる開業準備行為は,本件誓約書に基づく合意違反であり,債務不履行に当たる旨主張する。
しかしながら,原告は,この誓約書の趣旨につき,自ら就業規則上の義務を確認し具体化したものであると主張しているところ,その主張のとおりの趣旨であれば,被告の開業準備行為が就業規則上の兼業禁止義務の規定(社員であれば67条,非常勤講師Tであれば52条)に違反していないことは,上記1で既に認定説示したとおりのことであるから,これによる債務不履行をいう原告の主張は明らかに失当ということになる。
(2) また,その点をおいても,本件誓約書は,本件チラシ@の配布行為が発覚したことが契機となって,原告が被告らに提出を求めたものであり,しかも,その冒頭において,被告らが「平成27年2月28日付にて」原告を「退職し, ,Q2「を 」開校するにあたり」差し入れられたことが明らかにされているから,本件誓約書を差し入れることで,被告らがQ2の開業準備行為を進めること自体が禁じられたわけではないことは明らかである。
そして,本件誓約書差入後については,Q2での体験授業実施及び本件チラシA の配布行為が問題とされ得るが,本件誓約書の第4条は, 「担当する原告での授業ほか面談・電話・メール・SNS等を通じて,塾生ならびにその保護者に対し,・・・Q2の宣伝・告知活動ほか,質問照会に対する回答等,原告の利益と信頼性を損なう不正な行為」を規制対象としているものであって,既に原告が認識済みであるチラシ配布による宣伝広告活動は具体的に記載されているわけではないし,また体験授業の実施も, 「原告の利益と信頼性を損なう不正な行為」に当たると解することはできないから,これらの開業準備行為が本件誓約書に基づく合意違反を構成する余地はない。
そのほか,被告らが,原告における授業や面談,電話,メール,SNS等を通じて,生徒や保護者に対し,Q2への勧誘行為を行ったことを認めるに足りる証拠はない。
したがって,被告らによる本件誓約書に基づく合意違反の行為を認めることはできないから,その債務不履行をいう原告の主張は失当である。
6 以上によれば,原告の被告らに対する請求は,その余の争点につき検討するまでもなくすべて理由がないからこれらをいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条を適用して主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 森崎英二
裁判官 田原美奈子
裁判官 大川潤子